総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1936年 日華事変 

帝国の夜明け 

総理大臣の岡田啓介は「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし!」と決断した。まず組閣に軍需大臣「小川郷太郎」、情報大臣「高須四郎」選任し、結果合計IC+10と工業研究UP+5となった。しかし、国民は「不満4」を表し、政権は危機を迎えていた。

さっそく、陸軍は「常備軍へのスライド」を強く要求し、そうしなければ陸軍大臣の推薦をやめると通告してきた。総辞職かと思わせたが、それを認めつつも、「工場5ライン生産」「機械/生産・農業技術研究」開始ししたたかに経済政策を進めた。

226事件 

不満4が出ている以上、まずは目に見える結果を出さなければならない。「タイプI・供廚慮鼎ご倭イ北椶鬚弔影醗錣貿箋僂靴拭A輙は元水雷艇乗りであり、このタイプが資源・油を食うばかりで役に立たないことを見抜いていた。折りしも独逸はヴェルサイユ条約を前年に破棄し軍事増強を急いでおり、非常にこの話に乗り気で、駆逐戦隊5を鋼鉄約1000、軽巡5隻を希少金属役500で購入してきた。

しかし、海軍としては理屈ではわかっていても、ロンドン・ワシントン両海軍軍縮条約を離脱した中、古いタイプとはいえ艦船を減らすとは何事か!と大変激怒した。国民の不満4も変わらず政権の雲行きが怪しくなってきた。

226事件発生! 

1936年 2月 26日 0:00 : 我国は クーデターを鎮圧する と 二・二六事件 において選択しました。

岡田内閣は史実と違い総辞職とならず、陛下のご聖断もあり、このまま経済政策の継続を続けることになった。

しかし、陸軍は統制派が主導権を握ることになり、帝国国策基本要領(HOI2 DATA WIKI「各国戦略の手引き?/日本」)に基づき、蒋介石の最大のライバル「広西軍閥」に独立保障をした。なぜか国民党にも独立保障するのであった。

岡田は意味するところが理解できなかったが、軍の生産すらしてないので問題にしなかった。

日華事変 

1936年 6月 5日 0:00 : 広西軍閥 は 中国国民党に対して宣戦布告しました。

なんと独立保障した国民党が、広西軍閥より宣戦布告を受けてしまった。

「独立保障をした国民党に戦争をふっかけたのは広西軍閥だが、広西軍閥にも独立保障しておる。従って国民党に帝国が宣戦布告して何の問題もない。この宣戦布告は不満ペナルティはなし。つまり国民は望んでいたのだ!軍を動かさないでどうする!」

禅問答のような陸軍の主張に岡田総理は何か言いたかったが、すでに関東軍・本土の陸軍は輸送船に乗っていってしまっていた。帝国は中国への戦争を決断したのである。参加した軍は次のとおり。

○北部方面軍 青島上陸 国境満州派遣軍 畑俊六大将 朝鮮、第3、4、6、20兵団、満州派遣騎兵師団 合計13個師団

○中央方面軍 上海上陸 関東軍 杉山元大将 軍司令部、第13兵団、モンゴル騎兵 合計12個師団

○南部方面軍 福州上陸 本国軍 寺内寿一大将 大本営、東部・中部軍 第14、15兵団 合計10個師団

○予備 新編成3個師団

よくよく考えたら大本営と陸軍大臣が出撃しているのはおかしいのであるが、陸軍としても、こんなにうまくいくとは思ってもおらず、あわてて満州、国内から軍をかき集めたというようであった。

1936年6月-8月
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陸軍は、上海から上陸した「モンゴル騎兵軍」が疾風怒濤の大陸打通をもって大陸を分断した。国民党軍は騎兵のスピードについていけず、空白地を蹂躙されていった。

1936年 10月 9日 16:00 : 陸軍中将 石原莞爾が'丘陵の戦士'を覚えました。

よせばいいのに、東条英機が石原莞爾の活躍に触発され、第4兵団の指揮をとったものの3連敗となった。
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ペナルティ 山岳-50、補給-15、雨-10、渡河-50、夜間-80。典型的な無謀な作戦である。東条いわく18年式装備が悪いとのことらしい。
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帝国海軍も、存在をアピールしたかったらしく戦艦までだしてきたが

1936年 6月12日 1:00 : 我国の艦隊が 中国国民党 艦隊と 杭洲湾で海戦を行い勝利しました。 艦艇が沈められました!中国国民党 - 1. Quzujian Dadui(駆逐)
1936年 7月 9日 6:00 : 我国の艦隊が 中国国民党 艦隊と 杭洲湾で海戦を行い勝利しました。艦艇が沈められました!中国国民党 - Ying-Swei(軽巡)

貴重なを石油を浪費したわりには大した戦果もあげず、拿捕したとかで駆逐艦を1隻東京まで引っ張ってきたが、案の定使えないタイプIの駆逐艦だった。

1936年度報告 

岡田は36年度の報告をしたかったが、10月で終わると言っていた中国戦線は当初の進撃と裏腹についに年を越えてしまったため、来年に持ち越しとなった。

1937年−1938年 経済立国ニッポン


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)