総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1943年 アメリカ本土決戦−パナマ侵攻作戦

岡田は、またも軍事作戦の越年に憂鬱な気持ちになっていた。しかし今大敗北がない以上止めることはできない。作戦は昨年末発動していた。

1942年12月19日まず、海軍陸戦隊がシアトル、ロサンゼルス、サンフランシスコに敵前上陸した。西海岸には守備隊しかおらず、被害もなく橋頭堡を築くことができた。続いて、北米派遣軍主力が上陸し、占領地域を広げていった。ただ、シアトル−サンフランシスコ間が直接上陸できないうえに、森林地帯であるため、思いのほか時間がかかった。しかし現時点で、敵の姿はほとんどない。印度攻略の時のように簡単に米本土を蹂躙できるであろう。陸軍は「米兵など錬度が低いうえに軟弱である。すぐ降参するにちがいない。」とかねてから言っていた。
us1.png

しかし、そんなに簡単にいかなかった。米本土の南北と続くロッキー山脈である。我が帝国軍は砲兵の強化により105mm歩兵砲+120mm砲兵を人力で運んでいるため、シエラネヴァダ、モハーヴェ砂漠を超えるのに、1ヶ月を要した。そして、山脈を越えた向こう側は果てしなく広がる砂漠であった。

嫌な予感がする。米国は我が帝国の2倍の工業力を持つはずだが・・・?見渡す限りの砂漠と荒地で何にもない。すると遠方から砂埃が見え始めた。米陸軍のようだ。

vs3.png
主力支援部隊の一つである。西竹一いる2個戦車師団は初めて米軍と遭遇し戦闘に入った。我が軍戦車は新しく改変したばかりの一式戦車である。対する米軍戦車はM4A1シャーマンである。砂漠ペナルティがあるのに驚きつつ、あっさり敗退した・・・。

HOI2では兵器別での差はないのであるが(双方改善型中戦車)やはり心理的に日本軍戦車は弱いのではと感じてしまう。主力歩兵軍もやっと追いつき、いよいよ本格的な戦闘になった。かつて、国民党・蘭・英軍を蹴散らした帝国陸軍であったが、これもあっさり各所で敗退するのであった。米軍を指揮するのも有名な名将ぞろいである。
us.png

すでに、敵の奇襲効果はなくなり。(「敵の回復 が発生しました。」)おまけに、空は米軍のものであった。B26(戦術+護衛)が頻繁に攻撃を掛けてくる。その数10個編隊はある。目だった損害はまだないが、非常にうっとおしい。といっても空軍は戦術・対艦に絞っていたので、本土・満州の局地戦闘機「隼」、満州軍の「97式」で西海岸の制空権を争うはめになった。

北米派遣軍司令部の精神的ショックは大きかった。こんなはずはない。無敵皇軍が米軍などに負けるわけがない。しかし現実は機械化された米軍に全く太刀打ちできないのである。ついに砂漠地帯を明け渡し、せっかく苦労して移動したロッキー山脈に撤退するのであった。

しかし、まだこれだけではなかった。みるみるうちに米軍は数を増やしていく。諜報活動により恐るべき事実がわかった。「米軍は歩兵師団の生産を集中させます。」歩兵93個、戦車16個師団!航空機も戦闘機20、爆撃機10。海軍は戦艦1隻空母2隻であるが、本土防衛のために膨大なICの全てを陸軍に充てているのである。なんと恐ろしいことだ。

シアトル攻防戦

 ついに上陸3ヶ月後にして、北部で米軍が反撃をはじめた。シアトルでの戦闘は非常に激しいものだった。

1943年 3月 5日 8:00 : アメリカ合衆国 の陸戦部隊を シアトル にて迎い討ちました。
1943年 3月 5日 9:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 6日 10:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 7日 11:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 8日 12:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 9日 20:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 10日 22:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
1943年 3月 11日 23:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し シアトル を占領することに成功しました。
以下略

1943年 4月 19日 3:00 : 我国の陸軍部隊は アメリカ合衆国 軍に シアトル で、敗退しました。

ついに、シアトルを奪われた。もう後ろは海である。この時点で、予備兵力も全て投入した。現在、北米派遣軍は45個師団+陸戦隊12個師団いるが米軍は既に倍近くいるのだ。かろうじて山岳の防御効果をもって持ちこたえている。

緊急提案として、北米派遣軍司令部は、大亜細亜共栄圏の合同軍を編成することにした。ICの圧迫を避けるため、DAの新機能「援軍の派遣」をキャンセルしていたが、改めて満州軍、国民党軍に援軍の要請をした。岡田は了承したが、パンドラの箱を開けた気がしていた。
engun.png

国民党は山のように、援軍を送ってくれた。急遽、本土防衛の第2艦隊を、上海から真珠湾ルート。第3航空戦隊を真珠湾から米本土西海岸ルートにして、援軍を輸送した。

さらに、43年式歩兵の開発が済んだ。(基本的突撃銃、150mm歩兵砲、発射管式ロケット)そして待ちに待った深部浸透が開発された。これで、夜間移動、夜間戦闘が+40されるのだ。これで少しは好転するであろうか?

 パナマ侵攻 

北米派遣軍司令部は「米本土上陸作戦 U・S・A作戦は大成功のうちに終了した」と発表した。このことを国内にも発表された。確かに上陸作戦は成功したのだ。ただ内陸部への進撃作戦と米軍の反撃は全く予測していなかった。中国、印度の時のようになるようになると思っていたのだ。岡田も実はそのことについては、あまり疑問を挟まなかったのを驚いていた。自分も連戦連勝で緩慢になってしまっていたのだろうか。

さて、援軍輸送に伴い米海軍はゲリラ的に輸送船を狙い急襲してきた。援軍輸送路の安全確保のため、ここに帝国海軍は「パナマ運河」の閉鎖作戦を立案してきた。現在戦線は米本土内陸に移り、大和の46センチ砲をもっても湾岸砲撃の援護はできないため、帝国海軍はやることがないためであった。

作戦参加兵力

  海軍陸戦隊 一木支隊 一木清直中将  陸戦隊3個
        川口支隊 川口清健中将  陸戦隊3個

第1艦隊 栗田健男 中将    戦艦 伊勢 日向 扶桑 山城 重巡2 軽巡2 駆逐5+輸送
 第1航空艦隊 南雲忠一中将   空母 赤城 加賀 翔鶴 瑞鶴 軽巡4 駆逐

岡田は、高須四郎中将は閣僚に入っていたのを見て、おかしいと思い外すよう海軍に継げた。栗田健男中将を第1艦隊司令官とした。

見るからに、とりあえず暇な、海軍が思いつきで行った作戦であったことに間違いない。当然海軍だけで行うことになった。というか独断で海軍が行ったように見えた。あまりにもパナマは遠いので、状況によってはすぐ中止するかもしれない。
pana.png

1943年 4月 18日 22:00 : 陸戦部隊が アメリカ合衆国軍を撃破し コロン を占領することに成功しました。
パナマ運河を守る駐留艦隊もおらず、守備隊しかいなかったので、あっさりパナマ運河を占領することができた。パナマ運河は戦略的に重要な場所なだけにこれは大きい。

 太平洋の壁 

ついに、北米派遣軍は100個師団に達した。帝国陸軍50個師団+大亜細亜共栄圏からの増援、満州軍20個、国民党軍20個、その他10個師団である。青写真の提供などで両軍とも質も高く、39年式歩兵に対空旅団、対戦車旅団をつけた甲師団である。

しかし、米軍はあわせるかのように、陸軍をまた増やしてきた。最初は頻繁に戦闘を繰り広げていたが、今やロッキー山脈に篭ったままどうすることもできないのであった。そして米国の西海岸には工業地帯は全くなく米国のICを少しも削れず米国のICは400を維持し続けていた。

完全にお手上げである。いったいどこで間違ったのであろうか。と岡田は思った。少し前からやり直ししてというレベルではない。全くどうにもならない、完全に量も質も米軍の方が上であった。

新たな問題はIC200の帝国に100個師団の維持は難しいという現実だった。部隊の維持だけで現在のICの半分を費やしていた。完全にジリ貧である。

帝国陸軍は「太平洋の壁」を築くことにすると宣言した。

1943年 9月 19日 0:00 : 1 陸上要塞がシエラネヴァダに建設されました
1943年 9月 19日 0:00 : 1 陸上要塞がモハーヴェ砂漠に建設されました
以下略

なんと、ロッキー山脈に要塞を築き始めたのである。確かに要塞は空軍の攻撃をほぼ無力化し、例え今の3倍に米軍がなっても死守できる。

1943年 10月 18日 1:00 : アメリカ合衆国 は ドイツに対して宣戦布告しました。"
1943年 10月 18日 1:00 : イタリア は ドイツ 陣営として参戦し、 アメリカ合衆国に宣戦布告を行いました。

いまさら、独逸に宣戦布告しようがどうでもいいのであった。本当に今年度はまいった。今回は敵を知らず己を知らず、信じたい情報だけを信じ、無計画に戦線を広げてしまった結果である。なかったことにしたい。このまま逃げてしまいたい。降伏ボタンを押してしまいたい。

ただただ、無尽蔵といえるような国民党の増援軍を上海からサンフランシスコに輸送しながら、1943年は過ぎていこうとしていた。

1944年 中南米侵攻−大西洋艦隊の最期


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)