総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1944年 中南米侵攻−大西洋艦隊の最期

今年も作戦は、越年したが今年は気の重い年越しであった。米本土上陸後、状況は全く好転の兆しを見せない。1943年に帝国国策要領修正をする予定だったが、米本土上陸作戦のため、今まで延期となっていた。
陸軍「大アジア共栄圏の援軍をもって、北米派遣軍を増強し、43年式歩兵と「深部浸透戦術」による夜襲によって、一気に形勢逆転を図る。」

海軍「それよりも、パナマ運河攻略成功に伴い、このまま米本土南部から上陸し、米軍を包囲し殲滅する作戦のほうが良い。」

陸軍「印度の場合と状況が違う、戦力の分散となり各個撃破される恐れがあり陸軍はその作戦案は受け入れられない。」

陸軍、海軍とも譲らず決裂し岡田は憂鬱になった。確かにどちらも有効に思えた。それで陸軍は「米西部での大攻勢」、海軍は「第二戦線構築のための中南米侵攻」をそれぞれ行うことになった。詳細な国策要領の決定は延期することになった。

政府 講和工作

岡田は、講和について検討してみた。現在米国との講和は絶望的である。しかし連合国の英国もしくは豪州に対して、講和を提案することは有効かもしれない。二正面作戦を避けることができ、英国・豪州ともアジアで我が帝国に対して力はもはやない。

しかし、譲歩までしてみたものの、英国・豪州とも一歩も譲らないのであった。この戦争は総力戦となっており、どちらも滅びるまで講和はないのではないかと思えた。しかし岡田はあきらめず、講和になりやすいように、英国に対しては友好度を上げるため「政治介入」を繰り返し、豪州には諜報活動として「クーデター」を繰り返しすることにした。

中南米侵攻

作戦前に、大鳳級空母「大鳳」「海鳳」が完成したため、長門の本格的な修理と大和の装備改良もかねて、聯合艦隊直属の戦艦部隊は本土に帰港した。
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そこで、大和は主力艦火器管制装置を増設し、対艦攻撃力28から30。湾岸砲撃力14から16。最大射程距離 38から48に増強することができた。さらに「秋月級」駆逐艦の大量配備を受け、戦力増強した聯合艦隊は再びパナマ運河に戻るのであった。ちなみに長門はまだ戦線復帰はできない。

か号作戦 中南米侵攻 

派遣艦隊
○直属   山本五十六大将    戦艦 大和 武蔵 陸奥 駆逐 4
○第1艦隊 栗田健男 中将    戦艦 伊勢 日向 扶桑 山城 重巡2 軽巡2 駆逐4+輸送

○第1航空艦隊 南雲忠一中将   空母 赤城 加賀 大鳳 海鳳軽巡2 駆逐
 (第2航空戦隊)山口多聞少将  空母 蒼龍 飛龍 軽巡2 駆逐
 (第5航空戦隊)原忠一少将   空母 翔鶴 瑞鶴 軽巡2 駆逐

作戦参加兵力 海軍陸戦隊 12個師団
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1944年 4月 24日 22:00 : 日本 は グアテマラに対して宣戦布告しました。"
1944年 4月 26日 19:00 : 陸戦部隊が グアテマラ軍を撃破し グアテマラ を占領することに成功しました。"
1944年 4月 24日 22:00 : 日本 はエルサルバドルに対して宣戦布告しました。"
1944年 4月 26日 19:00 : 陸戦部隊が エルサルバドル軍を撃破し エルサルバドルを占領することに成功しました。"
1944年 4月 24日 22:00 : 日本 は ホンジュラスに対して宣戦布告しました。"
1944年 5月 4日 14:00 : ホンジュラスは今や我が領土の一部です!"

海軍陸戦隊は、あっさりと攻略し、サンディゴ−サンサルバドルのルートを確保した。続いて、カリブ海の制海権をとるべく、聯合艦隊はパナマ運河を越えて、カリブ海へと入った。諜報部によれば、米海軍は戦艦1隻空母12隻を新たに建造したらしい。しかし駆逐艦しか遭遇せず、やすやすとカリブ海の制海権を取り、英領ジャマイカも無欠占領した。するとその横にあるオレンジの島が気になった。それはオランダ最期の領地であった。

1944年 8月 30日 7:00 : 陸戦部隊が オランダ軍を撃破し クラサオ を占領することに成功しました。"
1944年 9月 2日 20:00 : オランダ は今や我が領土の一部です!
ここに、オランダは大日本帝国によって併合され地図上からは消え去ったのであった。さらにキューバに対しても

1944年 10月 11日 5:00 : 日本 は キューバに対して宣戦布告しました。"
1944年 10月 11日 6:00 : サンタクララ において陸戦が開始されました。"
1944年 10月 14日 1:00 : 日本はキューバと講和しました。講和内容:グアンタモは日本に&カマグエイは日本に

なぜか講和に応じてしまったのであるが、中南米侵攻も大した抵抗もなく、作戦は無事に完了することができた。

つ号作戦 

話は前後するが、陸軍は、大亜細亜共栄圏の増援によって北米派遣軍が130個師団になった。「浸透戦術」を得た今、6月1日夜襲をかけることにした。「つ号作戦」と名づけた。現況がよくわかりにくいと思うので、「部隊表示」ありにしてみると戦線はこうなっている。
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6月1日午前3時、一斉に帝国陸軍は夜襲をかけた。しかし作戦はすぐに頓挫し、どの地点でも戦線は破れなかった。物量で圧倒されており、多少の戦術的有利ではどうにもならないことが改めてわかった。結局7度の攻勢をもっても失敗し、わずか1週間で作戦は中止された。ついに帝国陸軍は米西部での攻勢をあきらめた。「太平洋の壁」を完璧にするため、要塞レベルを10にするまで構築すると宣言した。要塞レベルが上がるにつれ、国民党、満州軍だけを残し、帝国陸軍だけ戦線を静かに離れ中南米へと向かうのであった。

連合分裂 豪州講和なる

帝国陸軍の攻勢の失敗を見て、岡田はますます講和工作に力を入れていたのだが、それは意外な形で実った。

1944年 7月 13日 5:00 : 我が国がオーストラリアにおけるクーデターに成功、より忠実な政府を樹立しました。

5%の確立だったのだが、ちょうど12回目にして、豪州のクーデター工作が成功した。こうして豪州は連合陣営を離れ大日本帝国と1946年1月まで講和条約を結んだ。こんなに簡単になるとは思わなかったので大変驚いたが、大日本帝国の攻勢に、英国との関係に疑問を持った豪州が、嫌気がさして講和を結んだということにしておく。尚、あまりに簡単にできたので今後のゲームバランスを崩すと考え「クーデター」は禁じ手とすることにした。

 秘密兵器、戦略爆撃 

帝国陸軍は、ここで秘密兵器の投入案を出してきた。ロケット技術の開発の一環で「戦術飛行爆弾 [V1]」の開発が終わり、とりあえず10機の生産をすすめているということである。ここで「起死回生」とか、「秘密兵器」などと言葉がでてくるとは、かなり追い詰められていることがわかり非常に思いやられる。それでも米国のICを削らないことにはどうにもならないので、岡田は承認した。また戦術爆撃機「飛龍」、対艦攻撃機「二式大艇」の開発完了により、戦略爆撃をまず行う。
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キューバのカマグエイ空軍基地に戦術爆撃機4個、対艦攻撃機8個が到着し。米国に対して初の戦略爆撃がなされた。

1944年 10月 26日 12:00 : マイアミ にて、敵艦隊を空爆しました。"
1944年 10月 26日 18:00 : 我軍が マイアミ に戦略爆撃を敢行し 軍港 2.66 の損害を与えました。"
1944年 10月 26日 23:00 : マイアミ にて、敵艦隊を空爆しました。"
1944年 10月 27日 3:00 : 我軍が マイアミ に戦略爆撃を敢行し 対空砲 0.26 , レーダー施設 0.44 の損害を与えました。"
1944年 10月 27日 5:00 : 我軍が マイアミ に戦略爆撃を敢行し 軍港 0.76 の損害を与えました。"
1944年 10月 27日 12:00 : マイアミ にて、敵艦隊を空爆しました。"
1944年 10月 27日 18:00 : 我軍が マイアミ に戦略爆撃を敢行し 軍港 6.88 の損害を与えました。"
1944年 10月 27日 19:00 : マイアミ にて、敵艦隊を空爆しました。"

結果として、非常に微妙な戦果でマイアミ港に停泊中の駆逐艦に対しては大損害を与えることに成功したが、米国の工業に対しては全く影響を与えることなく終わった。

キューバ危機 

1944年 11月 4日 0:00 : 1 V1. 師団 の生産が終了しました。×10
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大日本帝国陸軍は戦略爆撃に続いて、飛行爆弾をキューバに配備すると宣言した。国内に配備して「配置転換」にてカマグエイ基地に移動するため、実際の攻撃は来年になる。

しかし、先日の戦略爆撃と飛行爆弾の配備の宣言により、米国民はかなりの危機感を持ったようである。

1944年 11月 8日 0:00 : アメリカ合衆国 は Thomas E.Dewey (Rep.) という決定を アメリカ大統領選挙1944 - 史実通りの結果 において下した模様です。
ルーズベルトが選挙に敗れた!これがキューバ危機となって米国の国民を恐怖に落とし、その結果トーマス・デューイが選挙に勝つということになったと思いたい。

大西洋艦隊の最期

このキューバ危機対し、米軍は飛行爆弾のキューバ配備阻止に動くだろう。帝国海軍は緊急体制に入った。米国艦隊が動きが激しくなってきたためである。

1944年 12月 18日 7:00 : 我国の艦隊が アメリカ合衆国 艦隊と ウインドワード海峡で海戦を行い勝利しました。 次の海域で艦艇が沈められました!アメリカ合衆国 - 81st Destroyer Division(駆逐)."
1944年 12月 18日 16:00 : 我国の艦隊が アメリカ合衆国 艦隊と タンパ湾で海戦を行い勝利しました。 次の海域で艦艇が沈められました!アメリカ合衆国 - USS Marblehead(軽巡), 9th Submarine Division(潜水)."
キューバ周辺での海戦が激しくなり、ついに12月米大西洋艦隊と衝突した。

第一次キューバ沖海戦 第一艦隊、第一航空艦隊壊滅す 

最新鋭空母12隻、最新鋭戦艦1隻を含む21隻の米大西洋艦隊と第一航空艦隊、第1艦隊合計24隻が正面からぶつかった。米空母12隻の恐るべき攻撃力に艦船が次々と沈んでいく。
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1944年 12月 22日 0:00 : 我国の艦隊が アメリカ合衆国 艦隊と オールドバハマ海峡で交戦し破れ去りました。 次の海域で艦艇が沈められました!日本 - IJN 加賀(空母), IJN 扶桑(戦艦), IJN 伊勢(戦艦), IJN 羽黒(重巡), IJN 日向(戦艦), IJN 鳥海(重巡), IJN 龍驤(空母), IJN 赤城(空母), IJN 山城(戦艦), IJN 霧島(巡戦).アメリカ合衆国 - 75th Destroyer Division(駆逐), USS Wasp(空母), USS Intrepit(空母), USS Essex(空母)

あっという間だった。開戦以来、無敵を誇る大日本帝国海軍の象徴、第一艦隊、第一航空艦隊は壊滅した。

第二次キューバ沖海戦 武蔵咆哮ス

しかし、まだ終わってはいない、カマグエイの対艦攻撃機8個が攻撃に参加し打撃を与えたところに、仇を討たんと聯合艦隊主力、第2航空戦隊、第5航空戦隊が瀕死となった大西洋艦隊に突撃した。

ウェストバージニア(コロラド級)が空母を守ろうと正面に立ちふさがったが、大和は最大射程距離にはるかに勝り、一方的に46センチ砲を撃ち、撃沈し退けた。続いた武蔵は米空母に対して容赦なく46センチ砲弾を撃ち込んだのであった。

1944年 12月 23日 23:00 : 我国の艦隊が アメリカ合衆国 艦隊と フロリダ海峡で海戦を行い勝利しました。 次の海域で艦艇が沈められました!アメリカ合衆国 - 23rd Destroyer Division(駆逐), USS Lexington(空母), 78th Destroyer Division(駆逐), USS Saratoga(空母), 17th Destroyer Division(駆逐), USS West Virginia(戦艦), USS Cincinnati(軽巡), USS Franklin(空母), USS Hornet(空母)
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米空母の名前にデジャブを感じるが、大和は戦艦1隻最新鋭空母1隻、そして武蔵は最新鋭空母3隻を沈め、こうして米太西洋艦隊は壊滅し、米国は海軍艦艇のほとんどを失ったのであった。戦果・損害についての詳細は次の年になる。

1945年 テキサス攻防戦−米東海岸上陸


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)