総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1951年 北アフリカ上陸−地中海封鎖作戦

前年度は海戦と準備のみだったので、書くことがあまりなかったが、本年度は激しい戦闘に明け暮れた。

現在、北海、大西洋の制海権を握ったため、主導権は大日本帝国にある。ノルウェー、イギリス、オランダ、北アフリカ、スペインどこからでも攻めることができる。それでいて大亜細亜、北亜米利加ともに、大独逸帝国から攻撃を受けることはない。理想の展開である。そのため、比較的落ち着いて作戦ができるのであった。

現在、大独逸帝国軍の戦力差は、海軍は空母は数はあるが全く話にならないレベルで大差をつけている。歩兵・機械化歩兵が47年式で、何とか対等な戦闘になる。ただ問題は、戦車であり。E−50に対してはなるべく戦闘せず、若しくは5対1で戦闘するといったところである。それでも、大独逸帝国軍の主力は、やはり歩兵であることから。そんなに心配することはないと結論した。

さて、中東方面での停滞によって、第二戦線をつくる必要があった。一番弱い場所という理由で、地中海の封鎖と北アフリカ方面に決定した。場合によってはイタリアを攻めることもある。
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 灯火作戦 北アフリカ上陸 

北アフリカと地中海の封鎖作戦は、あくまで中東方面の牽制のため、主力は向けられない。そこで、アメリカ連合軍の協力得た。これは国民党、満州軍に比べ、将軍が多いことと、既に51年型歩兵になっているためである。また統帥権のみの取得となるのでICにもやさしい。(ただ統帥権だけだと輸送船に乗らないので、一旦増援で受けて上陸後、援軍返還する。注意:この点は当プレイヤーだけの場合があります。メインページのコメント欄をご覧ください。

帝国陸軍としては、北亜米利加軍より「北西アフリカ方面軍」を編成し、第2軍(上月良夫中将)第3軍(内山英太郎中将)のみ編成した。陸戦隊一木支隊、川口支隊は先遣上陸で協力する。アメリカ連合軍は、30個師団(Wark.G元帥)となった。勘違いしていたが、統帥権をもらった軍は編成可能だった。3個師団ずつまとめて「軍」編成にする。他国では3個師団で「軍団」になるが、ここは帝国陸軍方式で3個師団で「軍」編成とする。

1月、余裕でカサブランカを上陸占領し、ここを拠点として、東へ前進した。予想通りイタリア軍は弱小で、アメリカ連合軍でも余裕で前進できた。ただジブラルタル要塞に関しては、全く歯が立たず、艦隊が地中海へ入ることができなかった。しかたがなくモロッコ湾で地中海から出てきた艦隊を叩くにとどまった。
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1951年 1月 30日 23:00 : 我が国の艦隊が ドイツ 艦隊と モロッコ湾 で海戦を行い勝利しました。 以下の艦艇が撃沈されました!KMS Hamburg(重巡), KMS Peter Strasser(空母), KMS Beowulf(重巡), KMS Seelowe(空母), KMS Mark Brandenburg(戦艦)
大独逸海軍の空母は、あいかわらずであるが、これで大独逸海軍の方向性がわかった。これは後記で述べる。

 中東モスル包囲戦 

さて、中東において膠着状態にある戦線で、前線の大独逸軍の戦力は目まぐるしく変化している。ここは「欧州−アフリカ」を結ぶ移送ルートであるため、ここを通ってアフリカ方面に軍を派遣しているらしい。何度かの強行偵察をかねて、戦力が落ちたところで、第1方面軍、第3方面軍はキルクーク、カルパラに一気に攻勢をかけた。結果これを敗退に追いやるが、ぎりぎりでの勝利のため、組織率の低い状態での進撃となり、ついたとたん反撃にあい敗北。最近この繰り返して戦線は膠着するのであった。

はたしてどうしたものか。やはり防御のほうが有利なため、今の大独逸軍相手では、防御されると、どうしても攻撃時での組織率の損耗が激しい。そこで、この戦線においても、印度軍30個師団(モハン・シン元帥)の応援を得ることにした。ICの関係上、もはや大日本帝国陸軍歩兵師団の生産はもうないが、統帥権をもらえば印度・アメリカ連合・国民党・満州軍が200個師団あるので戦力の補充は安泰である。

発想をかえて、キルクーク攻略に空挺軍をつかうことにした。バクダット空港から出撃する。3個師団の空挺部隊は輸送機を含めて非常に贅沢な編成である。「マーケットガーデン」なみの大空挺作戦である。まず第1方面軍で攻撃、敵を敗退させ、すかさず降下。あっさり占領することができた。これを同じようにカルパラ攻略に行い、中東方面の戦線はこうして崩壊し、パウルス将軍貴下の10個師団は包囲された。
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こうして、中東方面の作戦は完了し、第1・第2方面軍+第2・第3機甲軍を「東欧州方面軍」、第3方面軍+第1機甲軍+装甲騎兵軍を「北アフリカ方面軍」と名称を変え、当初の予定通り、それぞれの方面に進撃した。

 第二次・第三次紅海海戦 奇襲イタリア艦隊!陸戦隊紅海に沈む 

北アフリカ方面軍は、シナイ半島の大独逸軍に対して、攻勢をかけるが、シリア・サウジの中立地帯に挟まれて迂回ができない狭い回廊での戦闘は苦戦する。そのため、紅海から、陸戦隊による挟撃作戦をとることにした。イタリア戦艦にやられた経験をふまえ、第二航空艦隊を露払いとする。しかし、全く予想外のことが起きた。突然第二航空艦隊の背後に現れた伊戦艦艦隊に輸送船船団が襲われたのだ。
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1951年 3月 8日 9:00 : 我が国の艦隊が イタリア 艦隊と アデン湾西部 で海戦を行い勝利しました。 以下の艦艇が撃沈されました!イタリア - 71a Flottiglia Torpediniere(駆逐) 2a Divisione Torpediniere(駆逐)日本 - IJN 北上(軽巡), IJN 木曾(軽巡), IJN 阿武隈(軽巡), IJN 神通(軽巡), IJN 大井(軽巡), Peter Stuyvesant Flotilla(輸艦), IJN 長良(軽巡)

1951年 3月 10日 1:00 : 我が国の艦隊が イタリア 艦隊と 紅海南部 で交戦し破れ去りました。 以下の艦艇が撃沈されました! RM Trieste(重巡), RM Giulio Cesare(戦艦), 31a Flottiglia Torpediniere(駆逐), RM Zara(重巡), RM Andrea Doria(戦艦), RM San Giorgio(重巡)IJN 追風(駆逐), IJN 疾風(駆逐) 第13輸送隊(輸艦), IJN 水無月(駆逐), 第15輸送戦隊(輸艦)

第2航空艦隊が海域についた頃には、第5艦隊の壊滅と、輸送船に乗った歴戦の勇者の陸戦隊を3個師団を失っていた。大失態である。イタリア艦隊はスエズ運河を通ってきたのではなく、紅海付近の、東アフリカのマサラ港に隠れていた。注意を払っていれば防げたものであった。非常に悔やまれる。挟撃作戦は延期である。

今まで海戦がおきやすいよう12隻体制を保持していたが、24隻体制に変更した。第一航空戦隊+聯合艦隊主力(山本五十六元帥)第二航空艦隊+第4艦隊残余(南雲忠一元帥)。これで誰も近寄れない、近寄るものは瞬時に殲滅される大艦隊とした。あまり好きではないのだが、上陸部隊を乗せた輸送艦を失うことはもう許されない。

 ハイファ・ガザ包囲戦 

こうして、数を減らしてしまったが陸戦隊は、5ヶ月後、シナイ半島へ上陸し、大独逸軍を包囲し補給を絶った。こうして北アフリカ方面軍はようやく前進し、ボックの6個師団がハイファで、マンシュタインの10個師団がガザで包囲され全滅した。
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1951年 8月 16日 11:00 : 陸戦部隊が ドイツ 軍を撃破し スエズ を占領することに成功しました。
こうして、北アフリカ方面軍は、中東の大独逸軍を全て排除し、スエズ運河を占拠し、ついに地中海への道が開かれた。第二航空艦隊が紅海での屈辱を晴らすため、地中海で大暴れするのであった。その結果、重巡5、軽巡8、駆逐艦63隻を沈め、イタリア海軍はほぼ壊滅し、地中海も帝国のものとなった。

 北アフリカ電撃戦 

モロッコから東へ進む北西アフリカ方面軍は、予想以上に前進した。大独逸軍に比べ余りにもイタリア軍が弱いので、敵を敗退させ、退却地点につくころには追いついてまた敗退させるという電撃的進撃であった。ついにイタリア軍と併走して前進する始末である。調子に乗っていると、アルジェに10個師団もイタリア軍は後方上陸してきた。しかし、ちょうど地中海に帝国海軍が入ったところであまりにも無謀であった。補給が維持できず、あえなく撃退、殲滅された。制海権を取るものが戦場を制するのである。
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そして、ついにチュニジアまで達し、残ったイタリア軍を包囲した。
1951年 10月 15日 4:00 : 陸戦部隊が イタリア 軍を撃破し チュニス を占領することに成功しました。

こうして、北アフリカのイタリア軍は全て殲滅された。中東方面の牽制として上陸した北西アフリカ方面軍であったが、予想以上の大勝利に陸軍は、イタリア本国への上陸作戦について真剣に考慮することになった。

一方、エジプトに着いた北アフリカ方面軍は、ルクソール・アシュート・クセイルからの大独逸軍を印度軍に防御させることによって、側面の脅威に対処し、一路西へ前進した。ここで「装甲騎兵軍」が大幅に強化された。
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1951年 8月 4日 0:00 : 蒙古騎兵第7師団 は 45年式空挺騎兵 への装備改変を終了しました。
1951年 3月 8日 0:00 : 付属部隊 蒙古騎兵第7師団 は 四式155mm自走砲 への装備改変を終了しました。
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ヘリコプターによるヘリボーンが可能となった。しかし、ユニットが騎兵扱いなので砂漠では以外に遅い。空挺軍のベンガジの占領によって、こちらでもイタリア軍が人っ子一人いないことがわかり、ここに北アフリカは事実上。大日本帝国によって制圧された。

 カフカス・バルジの戦い 

東欧派遣軍は、いよいよカフカス地方へと向かうのであった。ここには、石油の大生産地バクー(石油66)がある。大独逸帝国において最重要地域である。激戦の末、バクーを占領した。

気がつくと、「キロヴァバド」が大独逸軍の突出部(バルジ)になっていた。これは大独逸軍を削るのに絶好の機会ではないか。まず包囲攻撃で敵を敗退させ、それを空軍(近接航空支援機)で叩くという必勝パターンを試してみた。おもしろいように退却する独逸軍が充足率を減らして壊滅していく。あのE−50も簡単に全滅した。包囲以外で大独逸軍を壊滅させたのは始めてであった。
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調子にのってやっていたが、ここで戦局が一変した。ルントシュテット将軍率いる、大独逸装甲軍が進撃してきたのである。その数50師団!編成も、51年型機械化歩兵、「E−50」に加えて、「レオパルド」まででてきた。こうなると、包囲された部隊ではなく突出した強力な軍であった。
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あわてて、全軍で包囲攻撃する!しかし、なんと総数100個師団での包囲攻撃にも、びくともしないのであった。さらに今までおもしろいように削ってきた空軍がいつものように攻撃すると。
1951年 8月 27日 8:00 : タブリーズ で我が国の航空機は全滅しました。

1936年の国民党の戦いから続いてきた近接航空支援機それも最近ジェット化した4個飛行隊があっというまに全滅した・・・。ICをやり繰りしてコツコツと生産した航空隊が・・・。50個師団に対空砲旅団がいるとそれは壮絶な対空砲火であったのだろう。

このままタブリーズが落ちると逆に第1方面軍が包囲されてしまう。北アフリカに移送予定だった印度軍の予備兵力全て、タブリーズに投入した。それでなんとか、大独逸装甲軍をなんとか食い止めた。それでも、今両側の第1方面軍、第2方面軍の組織率はゼロに等しい。しかし、なぜか大独逸装甲軍はあきらめたのか全戦線で停止し、この戦線はしばらく静かになった。
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本当に危機的状況であった。戦車の開発に一刻の猶予もない
1951年 10月 7日 0:00 : 日野自動車 により '主力戦車'が開発されました。
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ついに「主力戦車」を手に入れた。第一世代MBTの誕生である。61式戦車とあるが、これはRSBCに習って「七式戦車」としたい。グラフィックもそれっぽいのでそれでいいのではないだろうか。これで少しは息がつけると良いのだが。カフカスは静かに時が流れていった。

 その他技術開発・世界情勢

こうして、1951年は激動のうちに終わりを告げた。結果を見れば大満足である。欧州でイタリアがほぼ脱落。大独逸軍も精細を欠き、アフリカ方面にどのくらい派遣しているかわからないが完全に分断孤立した。来年はノルウェー、イタリア、イギリスに攻勢をかけられそうである。世界情勢のイベントとして

1951年 9月 25日 0:00 : ヴィシーフランス で 仏領西アフリカの失陥 が発生しました。"
1951年 9月 25日 0:00 : フランス で 仏領西アフリカが加入! が発生しました。"
1951年 10月 10日 0:00 : ドイツ は 直接統治に移行する という決定を ヴィシーフランスの終焉 において下した模様です。"
1951年 10月 10日 0:00 : ドイツ で ヴィシーフランスの終焉 が発生しました。"
1951年 10月 10日 0:00 : ドイツ が ヴィシーフランス を併合しました。"

ヴィシーフランスが消滅したが、スペイン共和国はまだ元気なため、この戦線に大独逸帝国は軍を割く必要があり、なおさら大日本帝国に有利になったといえよう。

さて、上記にも書いた、大独逸帝国海軍の傾向であるが、気になるのは誘導弾を撃つこの艦船である。
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どうも現代型巡洋艦らしい。もしや劇的に射程が延びているのではと非常に驚いたため、早速、帝国海軍でも技術開発の末、「現代型駆逐艦」を開発してみたが、数値的には変わらないので安心した。しかし、我が帝国海軍が「九九九艦隊計画」と調子に乗って、超重戦艦改播磨級の美濃に続き能登まで生産したのに飽き足らず、原子力の開発の恩恵で
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「原子力戦艦」出雲まで生産してしまったのは、やりすぎであった。最近の補助艦艇の損失が多いのは、すでに海軍の巡洋艦、駆逐艦が旧型になっており、防御力が敵に比べ劣っているという事実であり、補助艦艇の整備をおろそかにしてきたことである。大いに反省すべき点であった。

それで大独逸海軍は、現代型巡洋艦、駆逐艦の配備にシフトしており、現代海軍の仕様に変化しているのであった。ただHOI2のデータでは、あまり懸命ではないように思われる。空母・戦艦の優位性はまだ変わらないのであるが、それが将来どうなるかは今の時点ではまだわからない。

1952年 ロイヤルネイビーの最期−英国・イタリア占領


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)