総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1955年 神々の黄昏 大独逸帝国の終焉

東部戦線、西部戦線、北部戦線において、いよいよ大独逸帝国本土国境に迫った。大独逸帝国は運命は決まった。第三帝国の終焉である。今すぐにでもベルリンへ行きたいところであるが、バルト諸国、北欧に包囲した大軍が残っており、海軍もまだ小型艦であるが約100隻以上残っている。

そしてなにより問題は、欧州での冬の寒さがかなり厳しいことだ。どの戦線でも寒冷地修正は思ったより大きく、さらに広大な戦域のせいで戦線が広がり、司令部HQの指揮範囲を超え進撃が鈍っている。今までせまい場所でしか戦ってきてないので、20年以上HQは3つで処理してきた。ここは、戦線を限定して、一つ一つの戦線を終わらせていくしかない。

北方軍集団壊滅す 

まず、前年ケーヒニスベルグの占領により分断されたバルト諸国、北欧方面の攻略から始める。ブラウヒッチュ、ルントシュテット率いる「北方軍集団」は、孤立したとはいえ、バルト海から補給を得ることはできた。従って、まず第1航空艦隊による、バルト海の制圧と補給線を遮断することにした。
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「グデーリアン将軍」の装甲軍団が、包囲網を解こうと突破を図り、一時的ケーヒニスベルグを突破したが、すでに帝国軍はメーメルまで占領しており、そこで力尽きた。大独逸帝国軍は守りに徹してきたが、いざ攻勢に移ってもあまりにも戦力が弱すぎた。ヒトラーの無理な命令だろうか。逆に、グデーリアン装甲軍は充足率、組織率を無駄にして戦力を損失したため、反撃で一気にエルビングまで失い、包囲網は完全に閉じた。

バルト海には敵海軍はいなかった。こうして制海権を握ると、この方面の印度軍、満州軍、国民党、合計250個師団は一斉に攻勢をかけた。包囲された「北方軍集団」は戦意を喪失したかのように戦闘力を失って、2月にはレニングラード、3月にはフィンランド全土が陥落し、総計50個師団が壊滅し、事実上北方軍集団が地図から消えた。

 市場向け野菜畑作戦 

戦意を喪失した軍ほど弱いものは無い。従って西部戦線においても、積極的に攻勢をかけることにした。まず北部方面軍のデンマークからの進撃と合流を図り、「空挺軍」「アルムヘルム」へ降下させる。これを「市場」作戦とした。この参加兵力は、「空の神兵」堀内豊秋率いる空挺軍3個師団、カフカス、イタリア、スペイン攻略で劇的に前進し大活躍した部隊である。

一方地上からは、ベルギーのナミュールからアルムヘムへ向けて一点突破を図る。これを「野菜畑」作戦とする。参加兵力は、これもイタリア、スペイン攻略で大躍進した西竹一将軍率いる第一機甲軍3個師団、空中騎兵軍9個師団である。
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まず、空挺軍が英国シェフィールド基地より、アルムヘルムへ向かった。降下は見事成功したものの、帰還中にルフトバッフェのガランド将軍の迎撃機につかまり、輸送機編隊1個を失ってしまった。機甲軍、空中騎兵軍はアントワープまで前進は順調であったが、アイントホーフェンで反撃にあって止まってしまった。

1955年 3月 3日 21:00 : 我が国の陸軍部隊は ドイツ 軍に アルンヘム で,敗退しました。
包囲された「空挺軍」は耐えられなかった。歴戦の勇者の3個師団が壊滅した。余りにも痛い損失であった。アルムヘルムは場所が悪く港さえあれば海軍によって救われたが、どうしようもなかった。油断すると今まで築き上げたものを一瞬にして失ってしまう。勝利に浮かれていた。大反省である。結局、敵中降下の空挺作戦は、以後二度と行われなった。

 大独逸帝国海軍の最期

西部戦線で「空挺軍」が全滅してつまずきはしたものの、北部戦線のデンマークより「北欧方面軍」は西に向かって進撃した。昨年の史上最大の海戦に敗れ、そしてバルト海と軍港キールを失い、大独逸帝国海軍は、最後の軍港「ヴェルヘルムスハーフェン」に潜んでいた。しかし、北欧方面軍は、陸から最後の軍港を制圧し、大独逸帝国海軍は港を追い出された。

そこで「ヘルゴラント湾沖」で待ち受けていた大日本帝国海軍と衝突した。その数150隻!聯合艦隊は、昨年、史上最大とも言われる海戦において、190隻と戦い無傷であったが、まだこんなに多数の艦船がこの場所に残っていることを予想せず、艦隊の終結に手間取り、最後の決戦は激しいものとなった。
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1955年 5月 12日 15:00 : ドイツ 艦隊に ヘルゴラント湾 海域で攻撃を受けました。
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1955年 5月 14日 9:00 : 我が国の艦隊が ドイツ 艦隊と ヘルゴラント湾 で海戦を行い勝利しました。 以下の艦艇が撃沈されました!ドイツ - 21. Unterseebootsflottille(潜水), 18. Unterseebootsflottille(潜水), 13. Unterseebootsflottille(潜水), 6 潜水隊(潜水), 27. Unterseebootsflottille(潜水), 33. Unterseebootsflottille(潜水), 35. Unterseebootsflottille(潜水), 6. Unterseebootsflottille(潜水), 12. Truppentransporterflottille(輸艦), 30. Unterseebootsflottille(潜水), 37. Unterseebootsflottille(潜水), 44. Unterseebootsflottille(潜水), 22. Unterseebootsflottille(潜水), 11. Unterseebootsflottille(潜水), 25. Zerstorergeschwader(駆逐), 40. Unterseebootsflottille(潜水), 2 潜水隊(潜水), KMS Wiesbaden(軽巡), KMS Pillau(軽巡), 1 潜水隊(潜水), 39. Unterseebootsflottille(潜水), 16. Truppentransporterflottille(輸艦), 25. Truppentransporterflottille(輸艦), 5 潜水隊(潜水), 14. Unterseebootsflottille(潜水), 3. Unterseebootsflottille(潜水), 3 潜水隊(潜水), 26. Unterseebootsflottille(潜水), 20. Unterseebootsflottille(潜水), 1. Unterseebootsflottille(潜水), 42. Unterseebootsflottille(潜水), 18. Truppentransporterflottille(輸艦), 41. Unterseebootsflottille(潜水), 24. Unterseebootsflottille(潜水), 25. Unterseebootsflottille(潜水), 45. Unterseebootsflottille(潜水), 9 潜水隊(潜水). 7 潜水隊(潜水), 43. Zerstorergeschwader(駆逐), 3 駆逐隊(駆逐), 21 駆逐隊(駆逐), 7 駆逐隊(駆逐).KMS Wuppertal(軽巡), 29. Zerstorergeschwader(駆逐), KMS Friedrich Carl(軽巡), KMS Deutschland(軽巡), 13. Truppentransporterflottille(輸艦).21. Truppentransporterflottille(輸艦).56. Zerstorergeschwader(駆逐), 8. Zerstorergeschwader(駆逐), 第14駆逐隊(駆逐).日本 - IJN 香椎(軽巡), 8 駆逐隊(駆逐), IJN 如月(駆逐), IJN 朝風(駆逐), 16 駆逐隊(駆逐), 10 駆逐隊(駆逐), 6 駆逐隊(駆逐).14 駆逐隊(駆逐), 21 駆逐隊(駆逐), IJN 沼風(駆逐), IJN 香取(軽巡)

1955年 5月 15日 3:00 : 我が国の艦隊が ドイツ 艦隊と ヘルゴラント湾 で海戦を行い勝利しました。 以下の艦艇が撃沈されました!ドイツ - 50. Zerstorergeschwader(駆逐), 4 駆逐隊(駆逐), KMS Konigsberg(軽巡), 2 駆逐隊(駆逐), 23 駆逐隊(駆逐), KMS Yorck(軽巡), KMS Stettin(軽巡), 51. Zerstorergeschwader(駆逐), 45. Zerstorergeschwader(駆逐). 66. Zerstorergeschwader(駆逐), 15 駆逐隊(駆逐), 24 駆逐隊(駆逐), 30. Zerstorergeschwader(駆逐), KMS Roon(軽巡), KMS Elbing(軽巡), KMS Bremse(軽巡), KMS Dresden(軽巡), 26 駆逐隊(駆逐). KMS Stralsund(軽巡), 49. Zerstorergeschwader(駆逐), 41. Zerstorergeschwader(駆逐), 5 駆逐隊(駆逐), 1. Zerstorergeschwader(駆逐), KMS Lutzow(軽巡), 57. Zerstorergeschwader(駆逐), 12 駆逐隊(駆逐), 28 駆逐隊(駆逐), 19 駆逐隊(駆逐), KMS Emden(軽巡). KMS Kolberg(軽巡), 16. Zerstorergeschwader(駆逐), 8 駆逐隊(駆逐), 15. Zerstorergeschwader(駆逐), 59. Zerstorergeschwader(駆逐), 1 駆逐隊(駆逐), 35. Zerstorergeschwader(駆逐), KMS Blucher(軽巡), 64. Zerstorergeschwader(駆逐), 17 駆逐隊(駆逐), KMS Leipzig(軽巡).日本 - IJN 皐月(駆逐), IJN 野風(駆逐).3 駆逐隊(駆逐), 5 駆逐隊(駆逐), 4 駆逐隊(駆逐), 23 駆逐隊(駆逐). 15 駆逐隊(駆逐), 第8輸送戦隊(輸艦), IJN 熊野(軽巡), 2 駆逐隊(駆逐), IJN 長月(駆逐), IJN 松風(駆逐), IJN 深雪(駆逐).日本 - 第19輸送隊(輸艦), IJN 望月(駆逐), 7 駆逐隊(駆逐), 1 駆逐隊(駆逐)

1955年 5月 16日 0:00 : 我が国の艦隊が ドイツ 艦隊と ヘルゴラント湾 で海戦を行い勝利しました。 以下の艦艇が撃沈されました!ドイツ - 9 駆逐隊(駆逐),IJN 那珂(軽巡), IJN 夕張(軽巡), IJN 矢矧(軽巡), KMS Rostock(軽巡), 26. Zerstorergeschwader(駆逐), 6 駆逐隊(駆逐).22 駆逐隊(駆逐), 6. Zerstorergeschwader(駆逐), 22. Zerstorergeschwader(駆逐), 16 駆逐隊(駆逐), KMS Brummer(軽巡), 18 駆逐隊(駆逐), KMS Augsburg(軽巡)

三日間に渡る海戦は、小型艦艇とはいえ100隻以上の必死の攻撃に、じりじりと間を詰められ聯合艦隊の補助艦艇が次々と沈んでいく。しかし空母10隻、戦艦13隻と全ての艦隊が合流したとき、敵は限界点に達した。

結果、聯合艦隊駆逐艦23隻を失いはしたが、軽巡洋艦30、駆逐艦65、潜水艦30、輸送船25隻を撃沈した。そして包囲を脱出した残りの艦艇も、シェフィールド所属の陸攻隊によってとどめをさされた。悲劇的にも、その中には、今から20年前、旧型という理由でドイツに売却した、名前がそのままの那珂、夕張、矢矧も含まれていた。ここに大独逸帝国海軍は最期を迎えた。

 最終決戦

最終決戦の前に、別の場所でいろいろおきてしまった。
1955年 4月 3日 1:00 : ソビエト連邦 は ドイツに対して宣戦布告しました。

いまさら勝ち馬に乗ろうとしてきたソ連に対し、岡田は不信感を持った。旧ソ連地帯を奪還を狙っているのでは?早めに独立させねば。

さらに、中東地域の独立を進めていると、予期せぬイベントが起きてしまった。
1955年 4月 11日 3:00 : イラク は クーデターを鎮圧する という決定を ハバニヤの対立 において下した模様です
1955年 4月 11日 3:00 : イラク は シリアに対して宣戦布告しました。
1955年 4月 11日 3:00 : ドイツ は クーデターを支援する という決定を ドイツがイラクのクーデターを支援 において下した模様です。
1955年 4月 11日 3:00 : シリア で ドイツからの支援 が発生しました。
余計な戦争が中東で起きてしまい、ヨルダンがシリアの反撃で滅び、イラク、イランまで危機的状況となり、中東に部隊を派遣するはめになった。

 西部戦線、東部戦線の崩壊

そんな予想外のことがおきたが、大独逸帝国本土に侵攻を開始した。しかし寒冷修正がなくなっても、ベルリンに近づくにつれて、敵の抵抗が激しい。いや敵は動いていないだけであったが、本土の地形が市街・要塞となり、防御側にかなり有利になっている。7月の全面攻勢になっても本土中枢に近づけない。加えて我が帝国は空軍の戦力を揃えていないため、ドイツ本土上空はルフトバッフェが握っているのだ。さらに戦線が縮まるにつれ敵戦力も集中し、ますます強固な防御となっていた。
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ここにおいて、作戦を練り直しである。まず戦力の再編であるが、主力戦車の最終形態が完成した。第二世代MBTの完成である。「研究」では74式だが、ユニット画像からあえて「十式戦車」と呼びたい。51口径105mm砲搭載、射撃統制装置の改良と機械的信頼性を高めた最高の戦車である。ただ避弾経始はなさそうである。
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さて、妄想はさておき、まず西部戦線において、ドイツの心臓「ルール工業地帯」へ包囲をすることにした。ここに「B軍集団」レープ、ヒムラー、カイテル将軍が守っている。西欧・南欧・北部方面軍は、エッセン、ドルトムント、カッセルを包囲し「B軍集団」は壊滅した。こうして、大独逸帝国の工業力(IC)に致命的な打撃を与えドイツは心臓を失い命脈を絶った。

加えて東部戦線において、「東欧方面軍」は、ロンメル、ハウサー将軍の守るワルシャワ、ポズナニ、キュストリンに攻勢をかけ、北ドイツと南ドイツを分断することにした。そしてドレスデン、コトブスにおいて東西両戦線の大日本帝国陸軍は出会った。
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この攻撃で、もはや人的資源すら尽きたのか、組織率、充足率ともに不足になった大独逸帝国軍は各所において抵抗をやめた。

 核兵器完成

我が帝国では、核施設の規模が9になり、初の核兵器が大陸間弾道弾に搭載された。すっかり忘れていたが、開戦の理由である大量破壊兵器の核施設は結局見つからなかった。小MOD入れるのが遅かったようだ。大義名分が崩れたので、「解放戦争」であることを大々的に宣伝して、東欧、北欧、バルト三国を独立させた。結果よければ全てよしである。
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 神々の黄昏 ベルリン陥落 

誰がベルリンに一番乗りかということになったが、結局最後は、参加軍の同時攻撃で終えることにした。
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1955年 8月 4日 7:00 : 陸戦部隊が ドイツ 軍を撃破し ベルリン を占領することに成功しました。

世界の双璧をなしていた大独逸帝国首都ベルリンは陥落した。ヒトラーは行方不明である。ベルリンが落ちても、欧州から大独逸帝国の領地がなくなっても実はアフリカに残党がいるので、厳密に言えばまだ終わっていない。しかし、実質終了であるので、ここはイベントか何かでどうにかしてほしいものだが、何もおこらない。仕方がないので自己完結する。。

ベルリンに葬送曲が流れ、国会議事堂に日章旗がかかげられる。
「大日本帝国万歳!万歳!万歳!」
berlin.png(画像はイメージです。)

こうして大日本帝国は世界の覇者となり、欧州での戦争は終結した。さてこれからどうするか岡田は悩んだが、それは来年にすることにした。

ここまで来たことは本当に感慨深い。ここは国が滅ぶこととは、一体どうゆうことだろうかと感傷にふけるため「ヒトラー最後の12日間」のDVDを見ることにして今年は終わる。

1956年 岡田政権20周年−アフリカ最終決戦


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)