総理 岡田啓介の憂鬱 Doomsday Armageddon

1956年 岡田政権20周年 アフリカ最終決戦 

1956年をもって岡田政権は20周年となった。対米戦、対連合、対枢軸戦を戦い続けてようやく終えることができて感無量である。対米戦のときは、どうなるかと思えたが、それから、はや10年である。時の経過が早く感じられる。さてこの10年を振り返ってみる。

勝利ポイント自領地傀儡支配率(総計VP)
193610369.5%(1142)
194615011223.2%(1131)
195655536380.8%(1136)

当初は1964年まで続けるだけと考えてきたが、結果を見ると「世界征服」プレイになっている。現在、南米、バルカン、ソ連邦以外を征服している。1946年以後10年間の勢いはすばらしいものである。

経済は以下のとおり。

エネルギー金属希少石油物資資金マンパワーIC
1937100077757270095961431222884118/99
19462180K1730K1052K1187K198859751526252/177
19561819K1168K883K764K55418222341333590/402

(注)Kは千単位

資源は少し減ってるが、倍増した工業力を維持するためのものであると考える。結果として、物資不足は解決した。こうなると、当初、自存自衛の戦いに踏み切った理由である「資源がない国」とは思えないほどの資源の量である。

ここで岡田は大演説をした。「我が大日本帝国は自存自衛のため、資源の確保と軍事力の増強、欧米列強からの植民地の解放。大独逸帝国の侵略からの開放として、アジア、アメリカ、中東、欧州そしてアフリカと戦い続けてまいりましたが、これ以上、傀儡国家からの資源と工業力の収奪は、かの欧米列強の植民地支配と同じものであり、だんじて我が帝国が、その同じ歩みをするわけにはいきません。」と民族自決宣言をした。

すばらしい演説だが、本音は、アメリカ、欧州、アフリカまで、もう面倒見切れないということである。まず10年間占領政策していた、アメリカ合衆国を独立させることにした。

サンフランシスコ条約締結 

本年をもって、大日本帝国はアメリカ合衆国から占領軍を撤退させる。傀儡として長い間IC、資源を独占し、貿易を制限し、アメリカ連合軍統帥権を取り、アフリカ戦線で戦わせた。しかし、対米戦終結10年経った今、独立を認めるのであった。

サンフランシスコにて、アメリカ合衆国と大日本帝国は講和条約を結んだ。
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サンフランシスコ講和条約
1.アメリカ合衆国の主権を認める(傀儡の排除)
2.アメリカ合衆国は、現時点の領地でカルフォルニア、アメリカ連合国の独立を認める。
3.ハワイ、グアム等の太平洋諸島の権利の放棄する。
4.大日本帝国は、アメリカ合衆国に賠償金は請求しない。
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アメリカ合衆国IC(151/101)アメリカ連合国IC(125/92)、カルフォルニア(80/66)と、ICが200を超えないように恣意的な境界線の線引き。カルフォルニアは大日本帝国の安全保障条約を結ぶ(傀儡政権のまま)など、真の独立には程遠いのだが、アメリカ合衆国は独立したのであった。

 アフリカ攻略 

昨年をもって、欧州大陸での大戦は終了したものの、枢軸国(ドイツ、イタリア)、連合国(英、仏、ベルギー、南アフリカ、ニュージーランド、イエメン、オマーン)は、いまだ、アラビア半島、アフリカ、南太平洋に首都を移し、しぶとく残っているため、戦争は厳密に言えば終結していない。当然、降伏勧告にも応じないため。厳密に言うと戦争は終わっていないのであった。
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はっきりいって、ほっておいても、IC10にも満たないので別に影響はないのだが、やはり大日本帝国としては、この戦争の責任を負う義務があると岡田は考えたため、残存国家の攻略を行うことにした。

東欧方面軍はドイツの占領軍として残り、西欧方面軍西阿弗利加方面軍 畑俊六大将南欧方面軍 今村均大将東阿弗利加方面軍として戦略移動。追加兵力として機甲軍3個軍空中騎兵軍3個軍を投入する。総称として大日本帝国アフリカ軍団 Dainihonteikoku Afrika Korps(DAK)とする。

アフリカといえば砂漠、空中騎兵軍は騎兵扱いのため遅いらしいので、ここで、いまさらではあるが、新規「機械化歩兵」を投入する。

機動歩兵軍
第40軍酒井隆中将 機械化歩兵3個師団
第41軍百武晴吉中将 機械化歩兵3個師団
第42軍西尾壽造中将 機械化歩兵3個師団
第43軍酒井隆中将 機械化歩兵3個師団

これで、諸兵連合効果を得られると思ったら、勘違いしていた。戦車+機械化歩兵だとダメらしい。またやってしまったが、ともかく、戦闘は西と東から始まった。

欧州に比べて、敵の戦力はもはや抵抗にもならず、攻略の障害は「砂漠」との移動との戦いであった。歩兵は相変わらずだが、機甲軍、空中騎兵軍、機動歩兵軍は順調に進撃していた。
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途中、イタリアは南アフリカによって併合されたが、イギリス、ドイツ、フランスは1つのプロヴァンスを残すだけになった。と思っていたが、英国領は太平洋にもあることとニュージーランドも残っていたのであった。非常に面倒であるがVPを押さえないと戦争は終わらない。

南太平洋諸島−ニュージーランド攻略 

急遽、本国に陸戦隊8個師団を移し、第50軍横山勇中将を加えて、「飛び石作戦」を行った。タラワ−ヌメア−テニアン−サモア−フィジー−ニュージーランド(首都ウェリントン)と調子よく攻略していたが、最後の最後でニュージーランド上陸作戦を失敗してしまう。
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あわてて、ヌメアに重攻撃飛行団(戦略爆撃機)を呼び、戦略爆撃にてICと補給路を0にして、再度上陸作戦を行い、無事成功した。こうしてまずイギリスが併合された。残りはドイツ、ベルギー、南アフリカを残すのみである。

 アラビア半島攻略、ヴィシーフランスの暴走

次々と想定外のことが起き、岡田はあせっていた。せっかくの20周年が・・・。今度は、アラビア半島の先のイエメン、オマーンも連合であるとわかった。しかしサウジアラビアが中立のため、陸地移動ができないので、ソコトラ島に輸送艦隊、東欧方面軍から部隊9個師団を送るというドタバタぶりであった。
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さらに、大独逸帝国の侵略併合されていた国々を開放のため、随時独立させていたのだが、ヴィシーフランスを独立させると・・・。

旧フランス領(シリア、アフリカの一部)を勝手に取られてしまうのであった。それでも腹が立つのに、軽空母1隻、重巡5隻、駆逐艦6隻まで取られているのには、ただただあきれるほかないのであった。
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今はしかたがないが、きっちりけじめをつけないといけない。

 アフリカ攻略のつまずき

岡田政権20周年の記念として、世界大戦の終結、連合・枢軸の条約締結の準備まですんでいるのに、一向に機械化部隊が前進しない。もしやと思い地形を見たら・・・。

中央アフリカは砂漠ではなく、森林、密林であった。人間あせるとろくなことがない。機械化部隊が歩兵並の進撃速度になって、岡田は憂鬱になった。ここに至っては、東欧方面軍からさらに部隊を抽出して南阿弗利加方面軍を編成し、南アフリカに直接上陸させるのであった。
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しかし、ここまでやっても、結局、記念すべき1956年は、またもや騒然と戦争の年越しで終わるのであった。

1957年 第二次世界大戦の終結−新世界秩序 


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)