我が栄光 ドイツ民主共和国AAR

ゴーゴー再軍備

 1953年から戦争に向けた東ドイツの準備は急ピッチで進んで行く。手始めに東ドイツと隣接するポーランド、チェコスロバキア方面の国境には要塞線が、沿岸にも上陸を阻むための要塞が建造された。果たして東側諸国はこれをどのような視線で見詰めていたのだろうか。少なくとも歓迎してはいなかったであろう。東ドイツが自分達との戦争を見据えていることが明白なのだから。そこには果たして何か見逃さねばならない事情でもあったのだろうか。それとも前大戦後まもなく東ドイツから軍隊を引き上げたソ連は東ドイツが西側に加わろうとも致し方なしと考え、それを織り込んでいたのかもしれない。……んなわきゃないよなあ。

 1955年頃には要塞線の建造も終了し各種兵科も続々と生産開始。ラインに上ったのは主に

・司令部
・主力戦車(自走砲付)
・機械化歩兵(自走砲付)
・歩兵師団(砲兵付)
・迎撃機
・近接攻撃機
・航空基地
・対空砲
・レーダー施設

 といった具合である。いずれ東欧諸国を制圧して回る予定であることから、ルーマニア攻略等に備えて山岳師団も生産したいとは考えていた。他にも快速な航空騎兵や、いざという包囲網形成あるいはその打破に使える空挺兵(+輸送機)の生産を真剣に検討していたが、これらは結局後回しとされ準備が間に合わぬまま開戦の火蓋が切られることになる。どうせ長期戦になることが予想されるのでその間に生産すればいいやということで。

 そして再軍備の進捗と戦争に要する時間の見込み、ゲームの進行がクソ重い中での自分の忍耐力などから総合的に判断した結果、ソビエト連邦との開戦は1958年の夏と決定した。

あんなにひ弱だったあの子も今ではこんなにマッシヴに

 かくてゲーム開始から約13年間の準備を行ったことで東ドイツは以下のような状態に。

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 工業力はIC122/81と以前からそれほど増加してはいない。石油と物資に関しては戦争の長期化にも耐えうる十分な量を溜め込んだ。これならパルチザンの跋扈する東欧を占領して回る際にも頻繁な「攻勢」指示を掛けることも可能となるだろう。補給効率の上昇は質の上昇にも繋がるのだ。

 人的資源にも若干の余裕を持たせてある。航空戦も地上戦も相応の損害を受けるのは必定であるため人的資源は温存しなければならない。また、戦争中にも山岳兵や空挺兵など人的資源を大量に消費する師団を生産する予定なのでこれだけの数を残すことになった。

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 兵力については陸軍合計62師団、空軍40航空隊。内訳については見たまんまである。防御については要塞と兵力の集中でどうにか凌ぎ、敵戦力の撃滅は近接攻撃機頼みなことがあからさまな編成だ。真っ当な大規模包囲殲滅なんぞできるわけがない。一応後で空挺兵の用意もするけどさ。

 次いで国土の状況。

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 東側国境地帯と沿岸には10レベル要塞と10レベル対空砲、1〜2レベルのレーダーを用意。航空基地は全速力の補充を行えるように各所での拡張を施した。ひとたび航空優勢を失えば工場施設等が爆撃を受けて二度と立ち直ることができぬかもしれないのだ。空戦にはなんとしても勝利せねばならない。だからといって陸で負けていいわけでもないが。なお陸軍主力はチェコスロバキア領への突入に備えて国境地帯にて待機済みである。

 以下は世界地図。といっても東ドイツと中国共産党の周辺のみ。他の地域は関係ないので割愛。

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 果たしてこの布陣で勝てるのだろうかと不安を抱きながらもソビエト連邦に対して通行許可の破棄を通達。東ドイツのソビエト連邦に対する敵対意志はついに水面上での具体的な行動となって表れたのだ。

 そして1958年7月23日、午前6時―――

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 ドイツ民主共和国はソビエト連邦に対して宣戦を布告した。
 冷戦の主役たる超大国へと核武装もせぬままに正面切っての戦いを挑んだのである。

我が栄光 1958 オワタ


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3963d)