山西軍閥はこの先生きのこれるか

蒋介石包囲網

状況

位置はごらんの通りである

Xian1.JPG

ICは16研究機関は2〜3の低スキルながら、工業やドクトリン歩兵装備など得意スキルの多い
研究機関が多く、軍閥の中ではかなり恵まれている方である。資源は希少鉱物が若干足りないぐらいで悪くはない。
ただし大臣は曲者で、国家元首が歩兵コスト-25%で非常によさそうな一方、組織率が-10%と、まさに中国の戦いを体現している。
同様に政府首班も勤める閻錫山は、石油の採取効率が上がる一方で、同盟確率が-20%と石油の取れない中国ではデメリットでしかない。
そして、なぜか空軍の大臣席が空白である。数ある小国でも誰もいないというのはそうそうあるものではない。(どうやらバグだったみたいです。コメントしてくれた方ありがとうざいます。ちなみに現在のバージョンだと治ってます。)

ということで、国力自体はさほど悪くなく、軍も歩兵師団が20個、民兵が1個、騎兵が3個、全て旧式だが
これも軍閥の中では良いほうである。しかし相手をするのは、日本軍。国民党の盾になって、消滅する義理はなく
ここは逆転の発想で、国民党を潰せば蒋介石マジックは発動しない。
後で日本軍が攻めてきても、引きこもって戦えば何とかなるだろう・・・。

蒋介石包囲網、作戦

ということで、国民党を潰すことにした。まず、始まると同時に北方の守備以外は、済南に全軍集結。

Xian2.JPG

中共に保障をかけて、2月に宣戦布告!

Xian3.JPG

・・・の前に、通行を許可されていたのでそれを取り消してから、戦争である。図のように内部に
食い込んでいた蒋介石の歩兵を潰してから、南京を占領して国民党の継戦能力を削ぐという作戦である。

Xian4.JPG
Xian5.JPG

ここまでは何てことはない。国民党の主力は共産党に向けられていたからである。しかし、ここからが問題である。
失敗するとこのように南京路は遮断される。

Xian6.JPG

沿岸部にいる部隊と戻ってきた大部隊が反撃にでてくるため、こうなると終了しかない。
そこで、南京を占領しつつ補給路も確保するため、部隊を後に残し沿岸部の掃討に全力を入れてとりかかる。

Xian7.JPG

成功した。しかし、ここで新たな危機が・・・。戻ってきた国民党の主力によって戦線の突破を許し
南京路が寸断され、当然のことながら南の大部隊が取り残されることとなった。北に配置していた部隊で
敵を逆包囲にかけ、かなり危うくなっていた南京方面も何とか抑えた結果補給路は確保したが、この間の時間のロスは大きい。
体制を立て直した国民党との戦争はこれ以後完全な膠着状態に入る。

Xian8.JPG

ここで次の策が、夏に始まる広西戦争である。広西軍閥が戦争に加わることで
国民党の戦力が分散し、その隙に中央に攻めいって決着を図ることにした。

Xian9.JPG

まずは再び分断されないように、安陽を奪還する作戦を行い

Xian10.JPG

次に中央から押していくが、ここら辺の湿地帯を攻めるのは山西軍閥の弱兵では至難の業である。
一番の問題は、占領した地域でのインフラでは、1日0.6だの0.3だの場合によっては
0.1以下の組織率しか回復せず、さらにインフラの回復も遅いとあっては救いようがない。

そこで、更なる手として雲南軍閥との同盟を図り、3方から攻めて蒋介石包囲網を築くことにした。
15%の成功率だったが、運良く一回で成功した。
そして、戦争の決着をつけるべく手間取っていた中央攻勢に着手する。

Xian11.JPG

この辺を制圧すれば、蒋介石のICは一桁になり、南からきている広西軍閥との合流も果たせる。
援軍ラッシュに悩みながらも、ジワジワと押していく反蒋介石同盟であった、そこにとんでもない一報が。

AA1.jpg
Xian12.JPG

こっち見んな、といわれても見てしまうぐらいの一報である。
まだ1937年の1月、盧溝橋は半年先だ。

同盟を組んでいる山西軍閥も、当然対日開戦ということでして。そりゃ、中国の軍閥がよってたかって国民党を潰していたら
日本が攻めてくるのは自然な流れではあるが、山西軍閥にとっては生存の危機である。何せ本国には西北軍閥の抑えの3個師団しか残っていない。
なあに、こうなったら、国民党とどっちが潰れるかのチキンレースだ

しかし、中央の山岳地帯でやたらと固い国民党そして・・・

AA2.jpg

どうみても日本の方が早いです、さようなら。

蒋介石包囲網、作戦

・・・ということでやりなおし。そもそも、戦争中に行き当たりばったりで、同盟を結んだのが間違いであって。
次は最初から広西と雲南と同盟をして(国民党と開戦前の方が確率は高い)、速攻で国民党を潰すことにした。

さらに、援軍ラッシュを逆手にとって、というかどうせ援軍送るなら指揮権とっちまおう、ということで
共同作戦で、国民党を中央突破、どっちに首都が移動しようが、どっちかは枯渇という作戦で、1936年中には決着を図ることに。
ただし、山西軍閥は孤立主義に傾倒しているので、無闇に同盟要請はできないため、まずは雲南軍閥を同盟に引き込み
広西は戦争が始まってからでいいか、ということで最初は2国で開戦。時間は若干ずれこんで4月に南京を占領。

そして、6月に広西戦争が始まると、さすがの、国民党も3方から同時に攻められては対応できず、特に広西軍閥の進軍が早かったおかげで
9月には山西軍閥と広西軍閥が合流し、ざまぁみろ蒋介石、台湾はてめぇには贅沢すぎる!海南島になら送ってやるぜ!

Xian15.JPG

とか、にやにやしてたら

AA1.jpg

しまった、日本の宣戦布告は、時期じゃなくて、国民党の死に具合を見てからだったのか!早く気づけよ!
・・・と思っても後の祭り。
しかも、国民党と日本軍は開戦せず、反蒋介石同盟だけ前後から攻められという結果に。

そしてこうなる。

Xian13.JPG

さらに、広西軍閥と同盟を結んでなくても、結局山西軍閥にも戦争を吹っかけてくる為、どうしようもない。

山西軍閥の長征 へ続く [#i1e57369]


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3999d)