大英帝国騒乱記AAR

1943年6月〜1944年末 すっ飛ぶ時間

 1943年6月19日、ペルシアが連合国に加盟。このペルシアの加盟によって連合国の勢力圏は中東からビルマまで地続きで結ばれることとなった。

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 同年7月、遅々として進まない戦局に業を煮やした連合各国は、陸軍の指揮をフランスの元に一本化することを決定した。フランス陸軍は総勢340師団に達し、数だけならば他のあらゆる大国にも比肩しうる規模となったのである。

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 この知らせを聞いたジョージ六世は

g6.png 素晴らしい……

 と喜びを露わにして呟いた。メタ的には最強の敵であること間違い無しの援軍テロが自然回避されたとあっては喜ぶのも当然と言えよう。ジョージ六世は激励の電文を各国に送った。

 だが、それでも戦線は動かない。それから数ヶ月が経過しようとビルマの戦線は相変わらずの一進一退を繰り返し、米国も後退はせずともカリマンタン島の制圧に意外と手間取る有り様であった。

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 とはいえ当事者は必死なのだ。フランスが東南アジアに全力を傾けているということはこの戦力配置図からも容易に読み取ることができた。

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 またしてもマジノ線空城の計発動である。ジョージ六世はうんざりした顔で眉間を揉み、ヒトラー総統は「その手には乗らんぞ孔明!」と叫んだ。誰も彼もバカ丸出しである。

 しかしフランス軍がいかに必死になろうともこれといった戦果は挙げられず、どころか1944年に入っては逆に日本軍に押し込まれてマレーシアとビルマが寸断されるような事態も度々見受けられた。だが日本軍もそれ以上の前進は不可能であった。大量の師団が張り付いて鬩ぎ合う密林部を容易に突破できるようであれば、この戦争はとうに終わっている筈なのだ。

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 ようやく戦線が動いたのは1944年の10月を迎えた頃だった。連合国軍はついに中国西部、タクラマカン砂漠を越えたのである。

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 これまでの停滞ぶりからすれば大きな前進だが、冷めた目で見れば微々たる変化以外の何物でもない。その先を順調に進めるかといえば答えは明らかに否である。先には相変わらず険しい地形が並び、そこを国民党の莫大な師団が守るとあっては大突破できる余地などありはしない。

 1942年2月の開戦から既に三年近くの時間が流れている。この間、イギリスは一度たりとも砲火を交わさずにひたすら国力の増強に努め、ドイツは労せずしてマジノ線を突破する機会に恵まれたにも関わらず不動のままであり、またソビエト連邦もドイツに対して牙を剥くことはなく、どころかフィンランドに対しても手を触れぬままでいた。

 1944年11月8日、アメリカ合衆国大統領には意外な人物が就任した。いかなる経緯か共和党のトマス・E・デューイが大統領の椅子に腰を降ろしたのである。

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 しかしこれが直ぐに戦局へと影響を与えるかといえばそういうものでもなく、太平洋戦争は未だ終結の兆しを見せない。1944年末に至りついに日本軍はビルマ戦線でも若干の後退を余儀なくされたものの、多少後退したところで大局に影響などあるはずもなかった。

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 そしてイギリス陸軍はこの時期に至るも相変わらずその数を増やしてはいない。

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 加えて未だに民主制全開、軍を送らぬことを除けば模範的な連合国盟主としての皮を被り続けている。

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 間もなく世界は1945年を迎えようとしていた。

大英帝国騒乱記 1945年 Part1 野望の王国


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3479d)