大英帝国騒乱記AAR

1946年1月以降 吹き飛ぶ時間

 1946年は特に目立った出来事の起こらぬ年となった。

 日本本土制圧に失敗した米軍は次いで朝鮮半島に乗り込んだが、上陸から一月と経たぬ内に呆気なく朝鮮半島南部へと追い詰められ、しばらくはそこで踏み止まったものの三月には再び海に追い落とされるという立て続けの敗北を喫した。

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 それでも沖縄、奄美諸島、小笠原諸島、斉州島といった本土周辺の拠点を押さえた米軍は、その後も執拗に日本領への上陸を仕掛けたが、ついぞ日本に致命傷を与えるまでには至らなかったのである。

 日本と米国がいつまで経っても水際での攻防を繰り広げていると聞いたジョージ六世は

g6.png 余はいかなる前世でも米国が日本を見事に打ち倒す様子を目にしたことがない。1945年中に決着が付くなど尚更のことである。彼らにできることはタワーとタワーとタワーを築くことだけだ。

 という周囲には理解不能な呟きを漏らした。しかしその言もあながち間違ってはおらず、後に判明したことだがやはり日米両陣営は太平洋にひっそりとタワーを築いていたのである。この程度は基本の範疇に違いない。

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 加えてフランスの調子も相変わらずであり、この年もマジノ線からパリに至るまでフランスの領土は無防備なままドイツに晒され続けていたが、対するドイツのヒトラー総統も「これは孔(ry」と叫び続け、やはりドイツが連合国に対して宣戦するような事態も起こらなかったのである。

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 そして英国の軍備も深く静かに進行する。主力戦車を主体とした機甲軍団が編成され、港湾と航空施設が整備された東南アジアのアイタペ基地には中距離弾道ミサイルが大量に配備された。射程距離およそ2400km、充分に日本本土を狙える距離である。11月には核爆弾の小型化に成功し、搭載する弾頭の目処も付けられた。

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1947年3月 物凄い勢いですっ飛ばされる時間

 1947年3月、遂にカーディフにおける原子炉の最終工事が完了する。これにより原子炉建設に費やされていた工業力が軍備に充てられることとなり、英国の武装は更なる急ピッチにて進んで行く。

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1947年5月 the first showdawn!!

 1947年5月、英国における政治の風向きが俄に変化を見せ始める。それまで一貫して民主的であったイギリスの政体にぐらつきが生じたのである。長く終わりの見えぬ戦争と、依然として健在なドイツの脅威に対して現状打破を求める声は日増しに高まり、これまで無為無策に終始した政府の行いに批判の矛先が向けられた。実際にはイギリスの軍備は水面下にて急速に進んでいたが、目に見えての成果が上がらぬことに人々の忍耐がタイムリミットを迎えたのである。これらの不満は議会において法制政策提唱という形で噴出した。混乱の第一ステージが幕を開けたのである。

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 今後の方針を巡って議会は紛糾を極めた。演説の唾が飛び交い怒号が響き、野党勢力はここぞとばかりに閣僚達の無能を誹る。当然の事ながら苦しい立場に追い込まれたのは首相チャーチルである。野党からの糾弾に対しては何かと理由をこじ付けて形ばかりの反論を繰り返したものの、その答弁はどこまでも冴えないものだった。ふしぎ大戦なのを良いことにこれまで実際に指揮を執り続けたのは国王たるジョージ六世王であり、チャーチル以下閣僚達には何の咎も無いのだが、だからといって「だって陛下がそうしろってゆったんだもん!」などとみっともなく叫ぶことをチャーチルの矜持が許す筈もなかった。議会の混乱は収まる気配を全く見せず、かくてビッグ・ベンの麓から紳士は消え失せ、ウェストミンスター宮は政治家による連日連夜の怒号が満ちる動物園と化した。

 だが、転機は意外な方向から訪れた。先年の選挙において与党が大きく議席を減らした隙間に滑り込みんでいたオズワルド・モズリー議員が、大乱闘の最中に他者を押し退けて壇上に取り付きマイクを奪い、凄まじい大声で朗々と勝手な意見を述べたのである。

oz.png 長年にわたり、社会主義派と自由主義派は法制度を滅茶苦茶にした。人権だの義務からの開放だの、まやかしの理念が生み出したものはどうしようもない無政府状態だ! 我々は秩序、検閲、古き良き法による統治を復活し、この国を再び正しい方向へと導かねばならない!

 イベントテキストのコピペな上に、これまでのイギリスであれば世迷い言として片付けられたこと間違い無しの主張であったが、現状への不満が噴き出す中ではモズリーの言は極端に過ぎれどそれもまたやむなしか、という意見が次々と現れ始めたのである。モズリーは十二分に役目を果たし、青タンの浮かんだ顔で「自分、めっさ頑張りました」とジョージ六世に報告した。

 そして議会にモズリー演説、もとい妄言の余韻が残る中、更なる追い打ちが掛けられた。ケニアでのうっふんあっはんを切り上げて本国に帰還して以来、密かにジョージ六世の側近として、もといアプレンティスとして、もとい使徒として陰謀に荷担するジョスリン・エロール卿も貴族院にて自説を蕩々と垂れ流したのである。その主張は要約すると

ero.png そもそも英国はもはや一昔前と同じではない。諸氏も僅か十年前の混乱を忘れたわけではないだろう。我々は全ての植民地を失い、それからはただ復興に力を注ぎ、目の前の脅威に怯えるのみで大局的な視座を損なったまま今日この日を迎えている。我々は、今こそ新たなるイギリスの在り方を模索すべきではないのか。

 という過去への決別を促すものである。だが、その後に続いた言葉はある意味前言を翻し、ともすれば一歩進んで二歩下がる性質のものであった。曰く

ero.png ……個人的には、新たなるイギリスは我らが王に拠って立つことが最善ではないかと考える。先日のモズリー議員の言は行き過ぎとしても、陛下により多くの権能をお譲りしてこそ目の前の状況を切り開けよう。少なくとも今求められているものは鈍重で信頼のならぬ政府ではなく、迅速かつ一貫した意志決定を以てイギリスを率いて行くことが可能な機関なのだ。
 
ero.png 国力で圧倒的に劣り、己よりもよほど強力な連合国とアメリカ合衆国を相手にして、極東の大日本帝国は今なお健在である。そう、日本ですら人種のハンデを跳ね返して我らと合衆国に互するのだ。ならば、より強力なドイツとソビエト連邦に至っては一体どれほどの脅威であろうか。
 
ero.png だが、私は何も彼らと同じになることを勧めているわけではない。我らは我らなりの自由な経済と開かれた社会の下で、脅威に打ち勝ち続けるための最善の道を採るべきだ、と提言しているだけなのだ。陛下は決して我らを裏切らぬし、我らもまた決して陛下を裏切らぬであろう。それこそが、そしてそれだけは、決して捨ててはならぬイギリスの歴史と伝統の誇りなのだから。

 先代、先々代の王の行いを凄まじい勢いで棚上げしての主張である。当然、これをそのまま受け容れ賛同する者は控えめな数でしかなかったが、モズリーと連携して多数の心に橋頭堡を築く事には成功したのだ。この段階における目標は充分に達成され、以後は背中を押し続けるだけで遠からず望みは叶うことを彼らは確信していた。

 この流れに対して閣僚陣は何ら有効な反撃を加えられぬまま、一連の法制政策提唱を巡る混乱は極右派への譲歩という結末を迎えることになった。勝敗は決した。まさにモズリーらの完勝であった。だが何よりも無惨であったのは、この期に及んで現政権は己の敵が誰であるのか、未だその影すらも掴めていないという事実であった。だって天狗とか暗黒卿の仕業じゃし。

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大英帝国騒乱記 1947年 Part2 君臨して尚統治する


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3476d)