大英帝国騒乱記AAR

1950年1〜2月 新体制の出発

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oz.png なんですか陛下。我々の顔をじっと眺めたりして。

g6.png いや、なんとも邪悪な面構えの連中が揃ったものだと思ってな。

oz.png 偏見です。人の顔をどうこう言うものじゃありませんよ陛下。

g6.png 余は今後このような連中に囲まれて執務をせねばならぬのか。

g6.png 神経がすり切れてしまいそうであるなあ。ハハハ。

oz.png その言葉、そっくりお返ししても構いませんか?

g6.png まあ冗談はさておこう。

g6.png これからは諸君に余の覇道を支えてもらうこととなる。

g6.png せいぜい励むことだな。

oz.png500.png501.png502.png 我ら一同、必ずや陛下のご期待に沿えてみせましょう。

g6.png うむ。

oz.png ところで陛下、軍部高官の首はすげ替えなくてよろしいので?

g6.png 当面そのままで構わん。

oz.png けど空母の扱いが苦手な奴とかも混ざっていますが……

g6.png 彼らは余にいち早く恭順の意を示した。目こぼしをしてやってもよいだろう。

oz.png 単に変え忘

g6.png 黙れ。

oz.png  っ

oz.png    ッ ッ

oz.png (じたばたじたばた)

500.png 陛下、フォースグリップはやめましょうよ。

501.png モズリーが死んじゃいますよ。

g6.png *おおっと*

oz.png げほげほ。

oz.png なんつーことをするんですか。死ぬかと思いましたよ。

g6.png すまんすまん。力が入りすぎた。

g6.png だがお前のせいで話が脇に逸れてしまったではないか。

g6.png 本筋に戻すぞ。

g6.png 内務大臣よ、我がイギリスの運営に何か支障はあるか?

501.png 取り立てて不安な点はございませんな。 ※内務大臣

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501.png 工業力は充実し人的資源に溢れ、資源も他国からの供給が見込まれ我が国の運営は極めて健全に行われております。

501.png 強いて挙げれば物資の備蓄が心許ない程度です。

501.png 多数の師団に攻勢をさせるにはいささか量が足りませぬ。

g6.png モズリーよ、お前からは何かあるか?

oz.png そーですねえ。 ※首相兼軍需大臣

oz.png 先日、研究陣がこのようなものを完成させましたので

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oz.png 早速量産を開始しました。

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g6.png それは結構なことだが戦略爆撃機はどうした。

oz.png もう少し待ってください。順序というものがありますので。

g6.png よかろう。だが急ぐことだ。

oz.png 心得てますて。

g6.png さて。

g6.png 今年度は日本に対しての反攻作戦を実施する。

g6.png ……もっとも我が国はこれまで特に損害を被ってはおらぬのだがな。

g6.png 連合国としては日本に仕置きを加えてやらねばなるまい。

g6.png 中国西部のテンプラー山岳師団はいつ頃ビルマ付近に到着する見込みだ?

oz.png 2月16日時点でこの位置ですから……

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oz.png おそらく5月頃じゃないですかねえ。

g6.png ではその時期に合わせて遠征軍をビルマに送れ。

oz.png へい。

1950年5〜12月

 1950年5月、イギリスの遠征軍がついにビルマの地を踏んだ。これまで彼の地に陸上兵力を送らなかったイギリスが、ようやく重い腰を上げてアジアの戦線に本格参戦の構えを見せたのである。

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 上陸後、トンブリとナコンサワンに展開したイギリス軍は間もなくシャム王国首都バンコクへの攻撃を開始。密林地に加えて渡河攻撃という悪条件にも関わらず、徹底的な特殊戦訓練を施された山岳兵師団は抵抗を物ともせずこれを陥落させた。

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 だが、バンコク攻撃とほぼ同時に行われていたテンプラー山岳兵軍団含む総勢26個師団によるピッサヌロークへの攻撃はあえなく頓挫した。このことはイギリス軍首脳部をしてこれまでのように楽な戦争とはならぬかもしれぬと認識を改めさせるに充分な出来事であった。以後しばらくインドシナ半島におけるイギリス軍の前進は拙速を控えて必勝を期した重い歩みとなる。

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 6月21日、イギリス軍はバンコクを占領した別働隊も加えて再度ピッサヌロークへの攻撃を敢行、彼の地で抵抗を続けていた日本軍28個師団を撤退へと追い込むことに成功する。停滞していた戦線は今や確実に動き始めていた。

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 そして日本軍にしてみれば一度崩れた戦線を立て直すのは容易なことではない。イギリス軍はその後もラコンナーチャタニー、ブノンペン、バタンバンへと食い込み仏領インドシナの奪回を果たしていく。

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 8月に入り、インドシナ半島での劣勢を悟った大日本帝国はついに連合国へと譲歩する形での和平案を持ち掛け、ここに本格的な日英の和平交渉が開かれた。英国側の代表を務めるのは例によって王の信任厚きエロール・ジョスリン伯爵である。

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ero.png 貴国の提示する条件は、連合国を代表する我が国としては到底受け容れられるものではない。貴国が真に平和を望むのであれば、最低限の条件として我が同盟国から不当に奪い取った全ての領土を明け渡すのが筋であろう。それすら応じられぬようでは交渉の余地などありはしない。

 しかし結局第一回の和平交渉は何ら成果の無いまま打ち切られ、戦争の続行が決定した。

 8月21日、ビルマがシャム王国を併合。太平洋戦争開戦以来の長きに渡り大日本帝国を支え続けたシャム王国はここに力尽きたのである。イギリスはこれまでシャム王国に対して再三日本を裏切るよう持ち掛けていたが、その誘いにも応じることなく最後まで戦い続け、そして滅亡した。

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 イギリスの前進は続く。海上からの輸送も駆使することで日本軍を包囲し、撤退先へと回り込み、一歩一歩とインドシナ半島を北上する。時には英国海軍と大日本帝国海軍はシャム湾の制海権を巡って激突したが、英国海軍は多数の輸送船団を抱えながらも空母の数的優位を以て日本海軍を圧倒した。

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 攻勢が開始されてからおよそ三ヶ月が経過し、今や連合国の優勢は揺るぎないものとなっていた。戦場の主導権は制海権を握ったイギリスのものとなり、同盟各国の空軍は撤退する日本兵に容赦のない追撃を加えた。

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 それから更に二ヶ月が経っての11月16日、オコンナー大将率いる海兵隊はハイフォンを占領し、連合国はインドシナ半島の奪還を果たしたのである。

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 戦局は一段落を迎え、今度はイギリスの要請で再び和平交渉が開かれた。

ero.png 我ら連合国は貴国に対して中国西部及び東南アジアからの完全なる撤退を要求する。これに応じるのであれば貴国との和平を結ぶのもやぶさかではないと我が王は仰せだ。我が王の寛大な提案を受け容れるか、それとも否か、貴国の返答をお聞かせ願おう。

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 大日本帝国はエロール全権が提案したこの条件を受け容れ、ついに連合国と大日本帝国の講和が成立した。1942年の開戦から実に八年近くに及ぶ戦争がここに終結したのである。大日本帝国とアメリカ合衆国は未だ戦争状態にあったが、少なくとも連合国は限定的な勝利という形で戦争にピリオドを打ち、その手に平和を掴み取ったのである。

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 間もなく戦後の処理が開始され、イギリスは講和が成立したその日の内に暫定統治下に置いていたベトナムを独立させる。

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 また現地に駐留する遠征軍もイギリス本土に向けて帰国の途に就き、そして今後は対独戦を見据えた準備に取り掛かろうとした矢先に連合諸国を震撼させる情報がもたらされた。
 これまでアジアの戦線を支え続けた連合最強の陸軍国、インドの離反である。

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大英帝国騒乱記 1950年末〜1951年 Part1 創世の炎


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3595d)