大英帝国騒乱記AAR

1958年 即位

1958年某月某日―――

 この日、大英帝国の首都にて未曾有の式典が行われた。国際社会に承認された主立った国々の元首や宗教的指導者、王侯貴族が列席し、全世界の皇帝として即位せんとする女王の姿を見守ったのである。

 戴冠式には聖ジョージ王冠も月桂樹の冠も用いられず、戴冠の刻限に合わせて式典に先だって打ち上げられた世界初の人工衛星が式場の直上を通過するという常軌を逸した儀式が実行に移された。即ち星を玉座に見立て、衛生を以て冠となし、その支配が及ぶ世界を象徴したのである。

 次いで聖油の塗布がアドルフ・ヒトラーの手によって行われるという、冗談のような悪夢が顕現した儀式の段に至るや、狂気の熱に浮かされぬ良識を持った者達は精神的な嘔吐感を抑えるのに全精力を傾けねばならなかった。到底直視に耐えられる光景ではない。そして何よりも皮肉なのは、その嫌悪感を最も必死に堪えている人物こそ、今まさに女帝として即位したエリザベス自身であった。

 決して望んで就く帝位ではない。しかし他に道など残されていないのだ。神の火でおよそ八桁に上る命を焼き尽くした帝国が、絶対的な権威として世界を統べる以外にどのような道を征けよう。死体で舗装された路面を駆け抜けている最中に、気力尽き果て歩みを止めれば血と肉の泥濘に沈み込むより他は無い。

 既に公の場で女帝から笑顔が消え去って久しい。女王として即位した頃ならばまだしも、今やその表情はいかなる時でさえ最早能面のそれである。表情から感情の機微を読むことに特に長けた者ならば女帝の苦悩に思いを馳せることもできたが、大多数の臣民にとってその怜悧な表情は恐るべき権威の具現として見なすことしかできなかった。なればこそ、女帝は確かに目論み通り自らに化した役割を充分に果たしていたのである。側近の閣僚達にしても、これまで女帝が精力的に征服と統治に努めていることを誰よりも知っていたが故に、今や女帝が本心から覇道を邁進しているものだと信じて疑うことはなかった。

1954年以降 戦後の世界

 米ソ両国との大戦が終結後、イギリスは同盟国に対し中立国への無条件侵略を許諾。各国は先を争って植民地の獲得に乗り出し、いずれの中立国も数年の内には連合国への加盟という名の服従か、あるいは滅亡を余儀なくされた。日々連合国の版図が拡大する中にあっても盟主たるイギリス自身は新たに自前の植民地を得ようとはせず、同盟国間の利害調整に徹した。ただし領土の配分においてイギリスの決定は至上とされ、一切の異論を認めることはなかった。

 イギリスが斯様な強権を振るえた理由として、まず単純にイギリスが強大な軍事力を保有しているという前提に加え、イギリス自身が固有の領土問題とは無縁の存在と化していたという中立性に依る所が大きい。1936年の段階であらゆる植民地を放棄し、独立を与え、未曾有の国難と引き替えに得たアドバンテージがここに来て活かされることになったのである。

 またイギリスは同盟国の中でも仏独蘭西の四ヶ国を手厚く遇し、彼らとの密なる協力の下に世界を統治する旨を表明した。これらの国々はアメリカ合衆国解体や南米分割に際しても優先的に植民地を割り振られ、連合国内でも指折りの強国としての立場を確立した上記四ヶ国は新列強と称されることになる。彼らはパワーゲームの一環として己が権益をより多く確保すべく互いを牽制して憚ることは無かったが、本格的軍事衝突が予期されるような深刻さとは全く無縁であった。なぜならば、彼らの上位にはイギリスが厳然として君臨しており、加えて今や互いの生存を賭けて相争うまでの理由が存在しないからである。例えばドイツにおいてはヒトラー総統が目標としていた東方生存圏は既に盤石のものであり、その未来は眩く輝かんばかりである。他の三ヶ国にしても大乱を起こして益するところ何一つとして無く、徒にイギリスの機嫌を損ねるような真似はできないという本音が全身から滲み出ていた。

 とまれ彼らは戦後世界における勝者となったわけだが、当然のことながらそのツケは全てが第三世界に押し付けられた。尚この時代において第一世界は連合国の頂点に立つイギリスと新列強の四ヶ国を呼び示し、第二世界はその他の同盟諸国を指し、第三世界は連合国から搾取の対象とみなされた国々である。イギリスは征服地の配分においては豪腕を以て決裁したが、その管理運営の手法については同盟諸国へと放任した。

 かくてイギリスは制圧した領土を惜しげもなく独立させ、あるいは同盟諸国に気前良く分け与えたが、それはイギリスがただ徒に利益を放棄したわけではない。最早かつてのように広大な植民地を自力で運営することなどマンパワーの面から見ても不可能だと悟っていたが故に、イギリスはイギリスで戦後世界において己の立場を更に強固たらしめんと必要な物を我先にと確保していたのである。

 イギリスは1945年以降に本格的な軍備を開始したが、その大半はアメリカ合衆国からの借入金と保有金の売却で賄われていた。しかしアメリカ合衆国の消滅にかこつけてその借金を事実上踏み倒し、戦時の財政的負担の大半を文字通り帳消しとしたのである。イギリスは戦後の北米大陸に樹立された各国家に対して旧アメリカ合衆国の財産の継承を認めることはなく、アメリカ合衆国が握っていた連合主要国への膨大な債権は全てが雲散霧消を余儀なくされた。

 またアメリカ合衆国への侵攻においてイギリスが何よりも優先したのは各連邦準備銀行に保管された金塊の強奪である。ニューヨークやボストンを占領した際に真っ先に行われたのは、核攻撃により吹き飛んだ連邦準備銀行の跡地で工兵が地下金庫を目指しての怒濤の発掘作業であった。戦時の混乱による散逸等でその全てが確保されるには至らなかったが、アメリカ合衆国の金塊の大半を我が物としたイギリスの金保有高はおよそ世界の6割を占めるであろうと見積もられた。イギリスによる対米侵攻の実態は、まさに押し込み強盗のそれであった。

 アメリカ合衆国の消滅による経済の混乱は甚大なものであったが、横暴極まる手段によって健全化したイギリスの財務体質はその影響を苦もなく退けた。また圧倒的な金保有高を背景に英ポンド金為替本位制を確立し、同盟諸国に対しては戦後復興あるいは植民地開発の費用を低金利にて貸し付けるなど矢継ぎ早に世界経済の主導権を握り込んでいく。それでも未だ世界にはブロック経済圏の名残が色濃く存在したが、戦前の緊張状態を生み出した教訓から早期の保護貿易緩和が連合国内で取り決められ、1950年代の終わりにはイギリスによる間接的な世界支配体制が完全な軌道に乗ったのである。

 しかし世界を導き通す為には今ひとつ足りぬものがあるのも事実であった。かつてのイギリスであれば自由の守護者という建前を吐くことが可能であったかもしれないが、今や連合国を脅かす強力な敵は存在せず、ジョージ六世王の暴挙を皮切りにここまで覇道を歩み続けた英国にそれを口にする資格があろうはずもない。結局のところイギリスはより強力な権威をこの世に打ち立てるしか為す術を持ち得なかったのである。

 戦後処理と新世界体制の構築に平行して準備は滞り無く進められた。新たに誕生する国家の名は大英帝国(the British Empire)と決定し、女王の皇帝戴冠に併せて首都ロンドンの名もブリタニアへと改められることとなった。そして儀式は実行に移され、今ここに大英帝国の歴史が開闢したのである。

 だが、その成立の経緯を思い起こせば、この新帝国が数多の翳りに彩られた異形の存在であることは明らかであった。内に膨大な歪みを抱えた世界に、どのような落とし前を付ければ良いかという目処は全く立っていなかったのである。大英帝国と新列強は空前絶後の好況に浮かれ、第三世界の国々は抑圧に喘ぎ続けたまま、ただ女帝一人が昏い企みに耽り続けていた。


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3595d)