山西軍閥はこの先生きのこれるか

中国の盾供〇垣招拡鏡犬残りへの軌跡

中国の盾の続きである。
そろそろ、何度やりなおしたかわからなくなってきたが、前回太原に籠もって消極的だったのを反省して
積極的に日本軍を迎撃し、民兵ではなく36年歩兵を先に研究して、できるだけ戦力も整えることにした。

なお、今まであまり書かなかったが、スライダーはどうすれば良いだろうか?通常ならタカ派にずらすところだが
戦争が始まると師団の新編成など夢の又夢なので、あまり意味はない。IC+5%の統制経済も悪くないが
一番右にはずらせない。常備軍で組織率の改善を図ったり、干渉主義で国民経済を減らすのも手だろう。

さて、日本軍が攻めてくるまでにおそよ40個師団超を集めて、再び迎撃態勢を取る。さりとて北平に籠もっても
他が防げず包囲されるのは目にみえているため、大同と右の平地群を防衛ラインに引き、今回は何としても
太原と済南を守る腹積もりである。
今回はドクトリンも先に研究し、塹壕が掘れる建設技術はまだだが、そのうちできることだろう。

ということで、1937年盧溝橋。今度は問題なく統一戦線も組んだ。前回も最初の河北の進撃は一定限防いだが
本番は上陸作戦が始まってからである。本当なら水際で防ぐのが一番いいが、山西軍閥にはそんな力はない。
上陸してきたのを確認して、30個師団の主力を済南に派遣しなんとかこれを死守する。

以下、日本軍が沿岸で合流するのを防いでいたが、11月ついに力及ばず落とされる。

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これだけなら、守れるが南から包囲されでもしたら、まず無理な話で後は国民党の頑張り次第だ。
翌1938年までには大同も落ちて、太原まで撤退する。

・・・南京はすぐ奪還したようだが、何とも危ない情勢だ。

冬の間は太原は勿論、済南も雪が降るため安心だが雪が解けると一気に危険になる
で、案の定一旦奪われるが、これはすぐに奪回、しかし日本軍が徐々に南下してくる・・・。
結局守りきれなかった為というか、太原を優先させた結果、済南は放棄し後は国民党に任せる。

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今回は長治もちゃんと守り、これで大丈夫だろう・・・、とか油断していた1939年6月。

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あっけなく敗れる、ここまでかと思ったが、運良く国民党が西北のユーリン(砂漠のところ)を確保していた為
九死に一生を得る。しかし、ICが0になってしまった為、国民党が済南を何とか奪還できそうな感じであるのを見て
済南に遷都の賭けにでる。地形は丘陵だが、川を挟んでいる為包囲さえされなければ何とかなるだろう。

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その後太原が奪還できそうな感じだったため、また少し戻るが、やっぱり駄目だったので大人しく済南に引き篭もる。

そんなこんなで、1942年まできたのはいいが・・・
おい蒋介石!てめぇ、毛沢東に何の義理があんだ、沿岸部を守れ、沿岸部を!

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あぁ、あんなとこに20個師団も置いてるから、また上陸されたじゃないか。

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あ・・・あ?

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包囲され孤立無援に陥った済南。それでも2回も日本軍の総攻撃を跳ね除けた山西軍閥、しかし、人的資源は余っているが
補充のICが全然間に合わず、ついに力尽きて消滅する師団が続出、さらに取り残された国民党軍の補給も押しつけられ
補給もつきた山西軍閥は、消滅したのであった。

そろそろ辞めたくなってきたが、よく考えると上海を無防備のままさらしてる蒋介石がドアホなだけであって
だったら、余ってる民兵にでも守らせとけばいいんじゃないかと、そういうことで少し撒き戻し。

やはり、案の定今度は上陸してこない。そういえば、上陸してきたのは満州軍ばっかりだったしな。
これで、安泰かと思ったら、やはり補充がきついきつい。ついには充足率1の師団まで出る始末。

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また、敵は楽々装備を更新させてるのに、こちらはまだ半分以上1918年型歩兵である。
それでも、何とかもってる済南だったが、正直暇なのでnofogで世界情勢でも見ていると、独ソ戦はどうやらいつもどおりそこそこドイツが進んで人的資源がなくなってるようだが、日本をみると・・・

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オリンピック作戦、早!
何か違う気がするが、日本が弱体化するのは歓迎すべきことだ。これで満州にでも上陸してくれたら言うことない。
ちなみに、超時空要塞グアムは健在である。

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そんなこんなで大してすることもなく、1944年まで来た。そして素晴らしい知らせが!

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これで生き残る目処がついた!と思って、さっそく衛星写真で満州をみてみると・・・

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全然いねぇ!それはそうだ独ソ戦の真っ最中だ。だったら、そんなに急がなくてもいい気がするが・・・。
そして、相変わらず補充しかやることのない山西軍閥を尻目にソ連はドイツを併合。

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ソ連の参戦はうれしいとはいえ、なにか一抹の不安が生じて仕方がないが、ここはとりあえず素直に喜ぼう。

そしてとうとう、1945年にソ連の満州侵攻!俄然盛り上がってきたので、山西軍閥も攻めに出るがこれは無謀だった。

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しかし、6月には早くも満州を併合したソ連がとうとう中国戦線に!
やった、これで祖国が解放される!

いや、何かがおかしい。そうだ、ソ連といったら一度吸い付いたら蛭のように返さない連中である。
というか別にソ連でなくても先に占領されたら、返してもらえるわけがない。
北平は諦めているが太原だけでも取り返さないと埒があかないので、無理をしてでも攻勢に出る。
幸い、この頃までには国民党が250個師団を越える様相なので、一緒に日本軍を駆逐してもらい
1946年、しぶとく山に立てこもっていた日本の大陸派遣軍をついに消滅させた。

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ソ連に北部を占領されたとはいえ、そのソ連に攻められない限りもう大丈夫だろう。

こうして、山西軍閥は21世紀まで生きのこれ・・・、るわけはないが、とりあえず日中戦争は生きのこったのだった。

おまけ

ということで、そろそろ終わろうかなとだらだら続けていると
日本から和平の打診が。何を調子の良い事を、これから輸送艦でもつくって暇を潰すつもりだ、ということで拒否したが
一方で国民党は日本との和平に応じることに。そして、その後何だか嫌だった予感が予想もしなかった展開で的中してしまった

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新−山西軍閥はこの先生きのこれるか 1章へ続く


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3999d)