中国の野望

38年〜 満州解放へ

1〜4月

主だった部隊を黄河の戦いですり潰した日本軍にもはや抵抗する力は残されてはなかった。

2月には蒙古国がその短い歴史に幕を閉じ。
北京が解放され日本軍はさらに後退していき、我が軍はそれを追撃し満州へと進撃を続けた。
もはや我々を阻むものはどうしようもない悪路だけと言えた。
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また近くのソ連では将校の粛清があり、遠く欧州のドイツではオーストリアを併合したそうだ。

5〜6月

我が軍は満州のハルピンに到達。そこの工場を接収。
結果、我が国の工業力がついに日本を上回った

また満州内での日本軍とその傀儡軍を次々と掃討していき
満州の平定をここに宣言した。
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7月

日本が大陸に進出の足がかりとした朝鮮へと進撃を開始。
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脆弱な抵抗を踏み蹴散らし進み、我が軍はついに釜山へと到着。
ここで圧倒的な勝利を手にした我が国は日本へ和平を提案。
日本にこれを跳ね除ける力は無く、この和平を受諾。

結果、朝鮮国が日本より解放されたのであった。
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8〜12月

朝鮮から青写真を大量に手に入れる。
日本の遺産か?

一方、欧州では史実通りズテーテンラント、ドイツへ割譲が発生。
大戦まで秒読みとなってきた。

9月
チベットに宣戦布告。
山岳師団を投入するも侵攻は遅く、併合は12月までずれ込む。

日華事変後はたいした事もなく、また年は暮れていくのであった。

39年〜41年 第二次世界大戦と中国


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Last-modified: 2008-02-11 (月) 00:00:00 (4144d)