ドイツ 総統の夜の○夢

はじめに

1940年1月1日時点の主要国IC比較
国家名ドイツイギリスアメリカフランスイタリアソ連日本中国国民党
実効/基礎255/213214/148232/35621/1591/65357/230142/8996/69
前年比+58+30+14-84-4±0+2+3

 第二次世界大戦の勃発により、ドイツがポーランド、フランスを占領。そのためICが大幅に上昇した。フランスはもはや主要国とはいえないだろう。その点、イギリスは平和補正が完全に無くなったため、実質ICが高い伸びを示した。アメリカは基礎ICだけの伸びで見ると+21である。もう、いいだろ・・・・・・。

 ソ連は基礎ICが伸びたが実質ICが前年と変わらず。なんでだろうか?日中戦争真っ只中の日中両国のICは大きな変化はなし。戦局も黄河付近で膠着状態になった。

資源収支表(日産)
エネルギー鉄鋼希少資源石油労働力
17.122.13.433.21みてなかった

 領地の増加により資源収支がプラスに転じる。ポーランド、フランスから奪った備蓄で当分の間は資源に困ることはないだろう。当分の間は。

 軍比較表は記録し忘れのため割愛する。  ←作者は四つん這いになれよ

 史実よりも早く対仏戦が終結したため余裕ができた。これでいい形で対ソ戦に入れるかな。

1月

内政スライダーを常備軍にスライド。もはやこれぐらいしかいじるスライダーが無い。

1.3

 枢軸同盟参加に難色を示すルクセンブルクを征伐するため宣戦布告。(孤立主義だから誘えないだけだという指摘は受け付けない)

1.8

 第33軍団(自動車1)がルクセンブルクを制圧。即日併合した。移動速度が遅すぎて敵わない。

1.13

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 勢いに乗りベルギーに宣戦布告。OKWはフランス北部を主攻とし、電撃的にゲントを制圧しイギリスの介入を防ぐと同時に、全方位からの攻撃によってベルギー軍の抵抗を無くすことを作戦計画で決定。全軍に戦闘命令を発した。

1.14

 第1軍団(戦車2、軽戦車1)がゲントの制圧に成功。これで海外への退路を断った。

1.16

 第6軍団(戦車1)がモーンス、第33軍団がバストーニュ、第35軍団(歩兵5)がリエージュの制圧に成功。敵に態勢を立て直す暇を与えず、その日の内に首都ブリュッセルに侵攻開始。フレック大将指揮の下、効果的な空軍援護と戦車の攻撃力により敵守備隊は翌日6時に撤退。ブリュッセルの占領に成功する。

1.20

 第25軍団(自動車1)がアントワープの制圧に成功。ベルギー政府はイギリスに亡命した。(どうやって?)

2月

2.2

 残る低地諸国、オランダに宣戦布告。オランダ領を東西に分割し、各個撃破することが決定された。

2.3

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 オランダ軍にマンスター侵攻を許してしまう。この件は総統の耳に入らないようにしておく。

2.7

 第31軍団(戦車1)が首都アムステルダムの制圧に成功。

2.12

 傀儡政権樹立を試みるも失敗。イベントによりオランダ王室もまたイギリスに亡命した。

 低地諸国の占領に成功したドイツ軍はスペイン共和政府の攻撃を決定。スペイン国境のダクスに117個師団、約120万人を集結させた。作戦開始は3月13日に決定。特に意味は無いらしい。

3月

3.11

 ヴェーゼル演習作戦が発動される。だが、何ら準備していなかったため、キールに駐屯中のギリシア軍1個師団をデンマークに侵攻させただけで、後は放置プレイとなった。その後デンマークは降伏した。

3.13

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 スペイン共和政府に宣戦布告。作戦では敵の分断を図るため、主力を中央部マドリードまで進撃させ、そこから包囲網を形成する。敵戦力は約60個師団と、予想よりも数が多いものの空軍で圧倒できると考えられた。また、ジブラルタル海峡の封鎖も今作戦の目標の一つである。

ウェスカ攻防戦 1940.3.19〜4.1

 ビルバオの制圧に成功したドイツ軍は、各地に枝分かれする形で進撃を開始した。ウェスカでは戦車師団を含む、敵20個師団と遭遇する。だがその半分はスペイン内戦時の義勇兵、つまり民兵であった。2日間の攻防でスペイン軍は敗退。バルセロナに撤退を開始する。だが、山がちな地形、貧弱なインフラにより進撃は遅々としたものだった。結局占領は翌月となる。このため、バルセロナに撤退したスペイン軍に態勢の立て直しの時間を与えてしまう。

サラゴサ防衛戦 1940.3.19〜3.26

 サラゴサに先着した戦車師団3個がタラゴナ、カスティリヨンのスペイン軍から攻撃を受ける。マンシュタイン少将は丘陵、河川を有効活用し、敵の侵攻を食い止める事に成功する。

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3.26

 ドイツ軍本隊がサラゴサに到着。一転、主導権はドイツ側に移りスペイン軍は敗退。マドリードへの進撃路が無事確保された。

マドリード攻略戦 1940.3.28〜4.2

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 ドイツ機甲軍(戦車6自動車3)が首都マドリードに侵攻。敵4個師団と市街戦に突入するも、ドイツ空軍の新型爆撃機を1000機投入し敵指揮機能を喪失させることに成功。4月2日にマドリード入城を果たす。スペイン政府はバレンシアに政府を移した。

4月

バレンシア攻略戦 1940.4.1〜4.3

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 バルセロナへの爆撃を敢行した爆撃機パイロットは愕然としたという。スペイン軍はバルセロナに40個師団を集結させていたのだ。これを受けて、第7軍団(戦車2自動車1)がバレンシアに侵攻。何ら敵の抵抗を受けずに無血占領を果たす。スペイン政府はバリャドリドに政府を移動させる。これによりバルセロナのスペイン軍は政府から孤立してしまう。

バルセロナ攻略戦 1940.4.5〜4.7

4.5

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 4日にタラゴナを制圧しバルセロナの包囲に成功したドイツ軍44個師団は、バルセロナのスペイン軍31個師団と戦闘を開始。爆撃により弱体化していたものの、地形を巧く利用した防御でドイツ軍を苦しめる。この日だけでドイツ軍の戦闘不能師団数は10個となった。

4.6

 ドイツ空軍は爆撃をバルセロナに集中させる。時間刻みによる絶え間ない爆撃によりスペイン軍は指揮統制能力を失う。翌7日にドイツ軍がバルセロナ市内を制圧、スペイン東部を完全に占領した。

セビリア攻略戦 1940.4.25〜4.28

 スペイン軍主力の壊滅により、順調に南下を進めるドイツ軍はスペイン南部主要都市で、暫定首都セビリアの攻略に着手。戦車4、自動車1の機甲兵力を持って攻撃を開始。クライスト中将は敵防衛隊の包囲に成功、28日に占領した。

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ラコルニャ攻略戦 1940.4.26〜4.28

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 ドイツ軍により追い込まれたスペイン軍17個師団はラコルニャに立て篭もる。ドイツ軍は部隊の回復を待って、26日に攻撃を開始した。部隊の損耗が激しいスペイン軍はドイツ軍の激しい攻勢に、遂に降伏。スペイン軍は事実上消滅した。

5月

5.5

 ドイツ軍がスペイン最後のVPプロヴィンス・マラガを占領。即日併合した。スペインの潜在力を高く評価した総統はスペインに傀儡政権を樹立。何故か生きていたフランコを首班とした新生スペインが誕生した。だが、この独立で国民不満度が5%も上昇した。(記憶では最大2.5%だと思ったんだが・・・・・・)。スペイン内戦はフランコの勝利という、大どんでん返しで2回目の幕閉じと相成った。

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ヒトラー.png その発想はなかったわ

 なお、総統はポルトガル侵攻を強く希望していたが、フランコはスペイン政情が未だ不安定との理由で強く反発、総統もこの意見を受け入れ外交による懐柔を図ることとなった。

ジブラルタル海峡封鎖作戦 1940.5.11〜5.16

 ドイツ軍は、英領ジブラルタルに関しては爆撃でカタがつくと考えていた。だが、英本土から続々と援軍が送られてきたため急遽、陸軍による攻撃を決定。

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 戦車を中心とした18個師団が侵攻を開始した山地と要塞という悪条件が重なる中、爆撃機2000機による集中爆撃によりイギリス軍の壊滅に成功、5日間の戦闘はようやく終結した。これによりジブラルタル海峡は枢軸国のものとなった。

ゲオルギオスの憂鬱

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 いつの間にか英軍がギリシアの首都アテネを占領していた。なぜこんな事になったかというと、ギリシアはイタリアに援軍を派遣したため、ドイツが統帥権を持っているにも関わらずイタリアの制御下になっているのである。早くもイタリアを同盟に入れたことを後悔する総統。ちなみに、ギリシア軍の半分はギリシアにはまったく関係のない北アフリカ戦線に送られていた。

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 総統はギリシアが併合されるのを恐れ、「ちょっと寒いトロピコ」ことコペンハーゲンをギリシアに割譲した。

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 その後、イタリア・ギリシア軍は共同でアテネを奪還することに成功。イギリス軍その他はカヴァラに立て篭もった。

ゲオルギオス2世.png ここは公園の砂場じゃないんだ。遊ぶなら北アフリカなり、英本土なりでやってくれ。な!

ムッソリーニの溜息

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 枢軸側への参戦に伴い勃発した北アフリカ戦線は5月の時点でイタリアがトブルク、ベンガジなどの重要拠点を失陥。この時点ではドイツ空軍はジブラルタル占領後であったためフリーハンドであったが、総統はムッソリーニの強い要望にも関わらず北アフリカへの不介入を早々に決定。「ドイツはイタリアの戦争に干渉しない。イタリアはドイツの戦争に干渉しない」と総統に明言されたムッソリーニは一切まばたきをせずにローマに戻ったらしい。

スターリンの退屈

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 フィンランドを屈服させ、完全に暇を持て余しているソ連から大口の貿易が提案される。将来敵対することになろうとはさすがのスターリンも思っていなかったらしい。「ドイツ最高の将軍」の異名は伊達じゃない。

スターリン.png なんだその異名は・・・たまげたなぁ。

レーダーの消失

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 ハンガリーと外交交渉を締結。内容はハンガリー軍所属の戦車2個師団と交換で資源各種・技術青写真2枚・騎兵部隊・巡洋戦艦2隻。この知らせを聞いたレーダー提督は「海もないのに巡戦とな!?」と叫んだあとキールの海軍軍令部から逃走、1週間後にナミュールでヒッチハイク中の提督をSS保安隊が無事保護した。

6月

 西欧に一区切りつけたドイツは、いまだ中立を保つ東欧諸国への圧力を強める。ドイツは、同盟参加の見込みがあるルーマニア、ブルガリアに対し同盟の誘いを何度も出すが、全て断られた。これに激高した総統はユーゴスラビア攻略を指示。ドイツに逆らったらどうなるかを見せ付ける、格好の餌食となった。

6.8

 ユーゴスラビア国境で再編成が終了したドイツ軍は8日、ユーゴスラビアに宣戦布告した。作戦参加兵力100万人、空軍2500機の大軍はリュブリャナ、マリボルにそれぞれ侵攻を開始した。百戦錬磨のドイツ軍にユーゴ軍は各地で敗退を続け、同時に、ハンガリー軍、イタリア軍、ギリシア軍からも同時に攻撃を受けることとなる。

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ベオグラード攻略戦 1940.6.18〜5.20

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 ドイツ軍がサラエボまで進出、ハンガリー軍も南下しオシエク・ズレニャニンを制圧した。イタリア・ギリシア両軍もスコピエを落とし、残るVPは首都ベオグラードを残すのみとなった。ドイツ軍とハンガリー軍は共同でベオグラードの攻略を開始。連戦により消耗していたユーゴスラビア軍はこの攻勢を跳ね返すことができず、ベオグラードから撤退。20日にハンガリー軍がベオグラードを制圧。22日にユーゴスラビアは併合された。ドイツは旧ユーゴの支配について、クロアチアを独立させ、管理させることを決定した。

7月

 ユーゴスラビアの終焉を間近で見ても未だに同盟に入ろうとしないルーマニア・ブルガリアに対し、総統は片方のブルガリアへの攻撃を指令、自身が立案した作戦「乳酸菌」が発動された。だが、作戦参加兵力はわずかに22個師団であり、明らかに総統の思いつきによる作戦であった。それでもドイツ軍はブルガリアの首都ソフィアを占領した。

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 だが、ブルガリア軍がギリシア領内になだれ込んだためカヴァラのイギリス軍も息を吹き返し、再びギリシアはアテネを奪われてしまう。
 ブルガリアは険しい山地が国土の大半を占めており、進撃速度はかなり遅かった。ドイツが誇る空軍も山地に篭られては効果的な爆撃が期待できなかった。ブルガリア戦は長期化の様相を見せ始める。

9月

 戦線が膠着して1ヶ月が経とうとしていた。だが、イギリス軍はその時間を使い反攻作戦を練っていた。

9.1

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 イギリス・南アフリカ連合軍はウェルヴァ・セビリアに突如強襲上陸を仕掛けてきた。沿岸防衛に1個師団しか置いていなかったため、やすやすと計6個師団の上陸を許してしまう。事態を重くみた総統は新設された爆撃飛行隊6個をマドリードに派遣。陸軍も順次派遣するよう命令した。

9.5

 ブルガリア戦が思わしく推移していないため、総統はルーマニアに圧力を掛ける。ハンガリーがトランシルヴァニア北部の返還をルーマニアに迫っていることを知り、これを調停するためウィーンで会議が行われた。この会議でドイツはルーマニアにトランシルヴァニア北部の返還を強く求めた。ブルガリアの二の舞を避けたいルーマニアはこの要求を受諾、ハンガリーに返還される運びとなった。

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9.11

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 ルーマニアがウィーン裁定を受けいれたことで、総統は脈ありと判断。トランシルヴァニアに軍を進駐させ、ルーマニアに参戦を促した。ルーマニア政府は最早中立を維持するのは不可能と判断、遂に枢軸同盟に参加した。これによりヴァルナで抵抗を続けるブルガリア軍を包囲させることが可能となった。ブルガリア戦の戦局は一変した。

10月

ドゥーチェの暴走

 こちらも思いつきで始まった北アフリカ戦線は、遂にイタリア軍がトリポリに追い詰められていた。48個師団もの大軍があって、なぜ負けるのかよく分からないが、現実には敗退を続けているのだ。北アフリカの陥落によりイギリス軍の活動が活発化するのを恐れ始めた総統は遂に不介入宣言を反故にし、ムッソリーニにイタリア軍の統帥権を要求した。もはやかまって君と化したムッソリーニはこの要求は快諾した。

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 ドイツの人々はムッソリーニを「イタリア大管区長」と皮肉ったらしい。だが、ムッソリーニはドイツに構ってもらったことで俄然やる気を取り戻した。イタリア軍もそれに釣られたのかドイツ空軍の支援を受け、反攻に転じることとなる。

チャーチルの動揺

 ドイツの北アフリカ介入が決定的となり、スペインに奇襲上陸したイギリス軍は残らずドイツ空軍の餌食となった。

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 ブルガリア戦でもルーマニアの参戦により現地のイギリス軍は青息吐息の状態であった。危機的な状況に直面したチャーチルはブルガリア・スペイン戦線を放棄、北アフリカに戦力を集中させることを決断した。ジブラルタル海峡が支配下にあるうちに本国より最新装備で固めた歩兵師団(すでに43年式が実戦配備)や機甲師団が続々と北アフリカに上陸した。ドイツの介入が本格的になる前にイタリアを北アフリカから追い出そうと計画したのだ。さすが司令官スキルマイナス補正の持ち主である。考えることが単純すぎて、逆に痛快である。

ホルティの陰謀

10.7

 ルーマニア軍の援護もあり遂にブルガリアが降伏。東欧は残らず枢軸国の勢力下となった。この一連の戦争でハンガリーの領土は肥大化。一番の勝ち組は実はハンガリーというオチが付いた。「まさか、ドイツのユーゴ侵攻を誘導したのも、ブルガリアが頑なに同盟を拒否したのも実はハンガリーのホルティ提督の陰謀だったのではないだろうか」こんな話がまことしやかに総統を除く枢軸首脳の間で交わされた。ホルティ提督は「そんなつもりは無かった」と弁明していたが、ハンガリーの版図を見る限り、それが本当であっても妬ましい。

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11月

ゲーリングの憤慨

 ドイツ空軍がシチリアとトリポリにそれぞれ配備され、連合国軍への空爆を開始した。総勢3500機にも上る爆撃機で地上攻撃を一ヶ月間続けた結果、トリポリ方面の連合国軍約40個師団が「蒸発」した。

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 イギリス軍の機甲師団は全滅、ベンガジまで無人の道が完成した。ブルガリア軍と比べて、あまりにもふがいない連合国軍にゲーリングは激怒した。

ゲーリング.png 総統はなぜ、こんな弱者をすぐに叩き潰さないのか。イギリス本土へ侵攻しないのか

 と。だが、総統は既に対ソ戦に熱中しておりイギリスは最早眼中になかった。ゲーリングは何度も英本土爆撃を具申したが、すべて跳ね除けられた。ただ、さすがの総統もゲーリングのことは日頃から気にかけており、元帥に昇進させることでこの件をうやむやにしようとした。だが、ゲーリングは自分の育てた空軍に絶対の自信を持っており、二人の間はギクシャクするようになっていく。むろん、ゲーム中ではそんなものはシミュレートされない。

12月

 東欧に展開していたドイツ軍はほぼ全てポーランドの独ソ国境沿いに移された。総統は対ソ戦をかなり早い段階から計画しており、その準備も着々と進められてきた。だが、生産重視のため装備改変に回すICが無く全体的に旧式化した軍隊であること(イギリスと違い、歩兵は全て39年式)、未だに国民不満が解消されていないこと(約3%)等、不安材料も少なからず存在している。だが、総統は自分の決定を覆すことはないだろう。

ああ、来年は大変な年になりそうですね。

ヒトラー.png もっとずっと遠い場所だと思っていた。手の届かない夢物語

 この男は本気でシベリアに行く気だ。次回、狂気総統ヒトラー!「8.8時間目 我に秘策アリ?」

いや、多分、秘策もクソもないと思うよ。なんせ敵の数が。

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ヒトラー.png アッー!

(ちなみに枢軸国全体では歩兵310、戦車18です)

〜つづく〜


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3537d)