その他

「D-Day」とは、もともとは軍事用語で「(作戦・攻撃等の)決行日」という意味である。

で、あるからして別に6月6日だけがD-Dayではない。でもあまりにもノルマンディー上陸作戦とそれに伴うD-Dayが有名になりすぎたので、それ以後では「D」は使わなくなったらしい。

ウィキペディアによると、レイテ島上陸作戦は「A-Day」、沖縄上陸作戦は「L-Day」、コロネット作戦は「Y-Day」とのことである。

オリンピック作戦は「X-Day」だとか。かっこいいね。

ゲーム開始の前に

2006y08m16d_141632080.jpg

このシナリオの舞台はイングランド・ウェールズ、フランス本土、ベネルクス、ドイツ西部、それにコルシカ島である。
コルシカ島には航空基地があるので舞台に選ばれたのであろう。

2006y08m16d_141732710.jpg

戦艦ネバダ率いる艦隊が輸送船の護衛と沿岸砲撃を司ることになる。輸送船20隻には17個師団が積まれており上陸を今か今かと待っている。空軍基地には爆撃機に戦闘機に輸送機と「さすが連合軍そこにしびれるあこがれるぅ!」とでもいいたくなる圧倒的物資量である。ノルマンディー地方沿岸には敵兵の姿は見えずいったいどこにいったのやら。

2006y08m16d_142229040.jpg

連合軍首都はロンドン。大英帝国の首都である。当時はロケット攻撃で苦しんでいたらしいがそのようすもなくICも対空砲も産出資源もその他とくに損傷はない。

2006y08m16d_142301000.jpg

第三帝国首都はフランクフルト(以下略 である。この街は以下略の部分を入れて呼ばれることは滅多にない。

航空機の一部がすでに任務を設定されており、うち輸送機1航空団の目的地がカーンになってたので、とのことならと強襲上陸の目標もカーンに設定し、一時停止を解除。

シナリオ開始日は1944年6月2日、おいおいD-Dayまで時間あるなぁ。

1944欧州解放

6月3日4時、RAFがカーンに降下、戦闘無し。

6月4日11時、シェルプールに降下、侵攻してくるドイツ軍と交戦状態に。

7日にはルアーブルに強襲上陸しカーンからの支援もあり撃破、これで全部隊を上陸させることに成功した。

2006y08m16d_145247130.jpg

あっけない。

2006y08m16d_145337110.jpg

俺作のMODにより(とはいってもパリやローマ、東京の都市化はほとんどの人がやっている市民権を得た改造だと思うが)パリはアーバンに設定されているので、大都市である。

現在は1個師団が留まるのみだが、大都市は以外と戦闘が長引くので、隣のプロヴィンスの9個師団が気になるし攻略はまたの機会とする。

なので、西方より大回りし川に沿って防衛線を貼りブルージュを占領後、パリ占領を目指す。

2006y08m16d_145817720.jpg

8日10時、アヴランシュに攻撃開始、12時よりルアーブル支援攻撃より体勢を整えたカーンの部隊がアブランシュに支援攻撃、パンター戦車が必死の抵抗を見せるも量の差は歴然であり同日15時にドイツ軍を撃破した。

11日6時よりカーンの部隊がアルジャンタンに攻撃開始、これも日没前15時には撃破し、19時には機構師団が到着、敵軍を迎え撃ち撃破した。

13日14時、敵軍機甲師団の攻撃に耐えきれずアルジャンタンを受け渡す。西部方面へ兵を抽出しようとしており、戦車の力を甘く見すぎた。

しかしすぐさまきびすを返し、15日19時には再びアルジャンタンの地にたどり着く。

2006y08m16d_151003350.jpg

22日22時、戦力の伸びたアルジェを叩かれ部隊が孤立する危機が起きるが、もともと部隊がレンヌへと侵攻している最中だったので、ことなきをえる。

その後、ブレストに孤立した11個師団を8個師団で包囲攻撃、2時間で降伏させる。

2006y08m16d_151505110.jpg

11個師団降伏で幾分か楽になり、29日17時にはアルジェにいっせいに攻撃をかけ敵軍を敗北させる。

2006y08m16d_151902500.jpg

怒りませんよ。

その後も順調に敵軍を撃破して行き、ブルージュ占領のメドもたったので、7月9日0700時、モントゴメリー元帥のもとパリ総攻撃。相手はディートリヒ将軍率いる3個機甲師団。

2006y08m16d_152142110.jpg

途中、1個HQ師団がパリ防衛に駆けつけるものの、我軍の強襲に大幅に戦力を減らす。しかし反撃が発動し一次的に追い返すものの、数時間後の10日8時に撃破。

10日19時には戦車師団がパリ入城を果たし、連合軍はパリ市民の大きな声援に包まれた。

その後、西部では川を渡りシェルに到達するものの、1週間後西部に多く展開してきたドイツ軍に攻撃され撤退、再び川を挟んでの睨み合いとなった。

2006y08m16d_153854380.jpg

ドーバー海峡では激しい沿岸砲撃、航空支援のもと順調に北上し、22日16日はカレーに到達するが、連日の一進一退の大進撃で指揮統制がかなり混乱しており、2時間後にはあえなく撤退する。

その後撤退したディエップの地でも体勢を立て直す暇もなく追撃され敗走。続いてアミアンに攻撃され、これも敗北という結果に終わる。

2006y08m16d_154332200.jpg

悪いニュースだけではなく、一方26日13時にはオーセルを占領することに成功する。

月が変わり8月となった。オーセル侵攻に使用した機甲師団をパリに引き戻し、アミアンを突破する。

2006y08m16d_154714320.jpg

で、15日9時には、反則的航空戦力により蜂の巣となるドイツ軍を後目に優々と闊歩。

2006y08m16d_155718610.jpg

膠着せんとする戦線を突破する為にカルヴァニック作戦と名付けた作戦により、,砲茲襯▲潺▲鵑魘にしてでもディエップを包囲し素早く包囲殲滅を行うつもりだったが、△離疋ぅ跳海砲茲螢▲潺▲鵑占領され、普通にでディエップを突破するに留まる。そこからアミアンへ侵攻し、15日に至る。

一見すると作戦は失敗したかに思えるが、ところがどっこい反則的航空戦力がドイツ軍の背中を蜂の巣にしてやったのでもうボロボロとなっている。そのうえ、前の膠着状態よりかは現在のほうがマシである。空となったアミアンにまんま占領と占領しにきたのは、ドイツの戦術的勝利、連合軍の戦略的勝利といえよう。

このシナリオは当初は軍備物質輸送船団が少なく難儀するものの、イベントでたびたびに輸送船団が4隻増加されるので、だんだんと楽になっていく。

9月になると補給物質不足で指揮統制に混乱が及んでいた連合軍も、随分と持ち直してきた。

9月19日には川を越え、シェルを再び占領することに成功する。

2006y08m16d_161659780.jpg

10月12日3時、ヴィジー占領

14日5時、アルザス・ロレーヌ到達。

2006y08m17d_084736360.jpg

戦闘開始1時間でこの状態である。もはや体を成していなく、敗戦まっしぐら。

2006y08m17d_085151320.jpg

ラクラクスイスイ。

2006y08m17d_085438680.jpg

28日6時、ルクセンブルク解放。

2006y08m17d_085545850.jpg

バストーニュにて最後の在ベルギードイツ軍を降伏させる。ベルギー解放。

2006y08m17d_085830520.jpg

そして11月2日9時、連合軍の勝利としてこのシナリオは終了することになる。

感想

まず、上陸は非常に簡単である。忠実ではあんなに苦労したのに。

先に書いたが、ホントに大陸側で石油・補給物資不足が酷くろくに指揮統制が回復しない。ここが一番の敵であろう。

当初の陸軍編成だと動きにくいので、最初の方で陸軍編成を変更することをお勧めする。私の場合は、戦車のみの軍団は3個戦車で構成されたひとつの軍団のみにして、あとは戦車はHQに1個一緒に運用するようにした。余った戦車は歩兵と行動させた。

航空機はドーバーから攻撃すればほとんどことたりる。戦闘機は最初は制空権確保に用いるが、そのうちドイツの航空機なんて飛ばなくなるので、爆撃に用いる。ヴィジー等南仏を攻略するあたりで、石油に余裕が出たらパリに根拠地を移していきたい。むしろロンドン側の石油が心配になってくるころには、東部方面の攻略にもフランス本土より出撃することがあるだろう。

石油・補給物質が足りると後は独断場である。チョビ髭伍長の言う「腐ったドアを蹴破る」とは、どうやら自分自身のことであったらしい。


トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-02-11 (月) 00:00:00 (3634d)