ドイツ 総統の夜の○夢

はじめに

1945年1月1日時点の主要国IC比較
国家名ドイツイギリスアメリカイタリアソ連日本中国
実効/基礎358/307160/106527/36396/6921/13172/99167/120
前年比+57+1-18-3-190-4+15

 焦土から完全に回復したシベリア工業地帯を支配しているドイツのICが上昇し、それを失ったソ連のICが大幅に低下。アメリカではルーズベルトが死去しトルーマン政権が成立したため閣僚に変化があった模様。IC低下はそれが原因と見られる。第二次日中戦争勃発で優勢な中国がICを増やす。

1945年1月1日時点の枢軸国軍

データ取り忘れた(←しゃぶれよ)

1945年1月1日時点の敵軍比較
国家名イギリスアメリカソ連中国
スパイ人数1010104
歩兵師団1076319300?
機甲師団171830?
戦闘機系312701?
爆撃機系61221?
戦艦19212
空母15290
巡洋戦艦300
小型艦艇1692119

 ソ連軍の大半が壊滅。その他はあまり変化がない。中国へのスパイ潜入がまったく成功しないので実態は不明ながらも陸軍は300個師団以上あると見ていいだろう。空軍・海軍も少なからず保有しているが脅威にはならないと思われる。

2月

2.11

 アングチカのソ連軍を撃破、占領しソ連のVPを全て奪う。そして1945年2月11日、遂にソ連がドイツに併合された。大国の終わりとはかくもあっけないものである。旧ソ連領にはトランスウルス共和国・シベリア・カザフスタンなどの傀儡政権が続々と立てられた。ドイツ軍は残る中国軍へとその矛先を向ける。

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3月

 中央アジアの独中国境沿いに展開が完了したドイツ軍は、態勢の立て直しが終わると各方面で攻勢を開始した。だが神出鬼没な中国軍と、長い兵站線に悩まされ思うように作戦を遂行できずにいた。例えばグルジャでは、圧倒的優勢に立っていたドイツ機甲師団13個が中国軍の波状攻撃の前に粉砕されるなど各地で熾烈な攻防が繰り広げられることとなった。

5月

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 牛歩とも言える進軍速度だがドイツ軍は何とか中国軍から戦闘のイニシアチブを奪うことに成功した。中国は事態が悪化する前にと、ドイツに無条件和平を提案するという厚顔無恥な態度をとる。無論、ドイツは中国政府の特使を追い払い戦争を続行した。一方、中東ドイツ軍はペルシアの米英軍を撃退することに成功、インド・カラチに押し込み殲滅した。これでようやくインドで苦境に立つ日本軍を陸から支援できることになる。

5.26

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 ドイツ軍26個師団が新疆・ガチムチウルムチで中国軍の包囲に成功、撃破した。だが、補給は既に限界に近づいており(ゲーム上でいうと補給効率が50%以下)これ以上の攻勢はかなり困難なものとなった。

6月

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 新疆で攻勢が停止したドイツ軍は打開策として華北からの侵攻を決定した。別働隊としてフリック元帥指揮の12個師団が満州領チャントーに派遣された。華北派遣隊は敵の防御が薄い北京を攻略し反撃の狼煙を上げた。
 北京攻略に成功したことでドイツは枢軸各国を説得、軍の統帥権を獲得し華北に続々と送りこんだ。派遣軍は総勢約200個師団、最大供出国のハンガリーが100個師団を派遣する他、ウクライナやオスマントルコなどの新興国も華北に軍を派遣するなど、枢軸国の威信を掛けた侵攻作戦が始まろうとしていた。

7月

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 華北戦線が好転しはじめたが、新疆では未だに苦戦が続いていた。クムルを占領していたウクライナ軍11個師団が中国軍に撃破されるなど戦況は一進一退、200個師団以上もの大軍を新疆地区に投入していながらかろうじて戦線を維持している有様であった。対中国戦の行方は華北での攻勢の成否にかかっていた。

8月

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 枢軸軍先発隊がチャントーに到着した。北京周辺の支配を確実なものとすべく、ハンガリー軍17個師団・ルーマニア軍14個師団・ウクライナ軍3個師団・エストニア軍2個師団はそれぞれの地区へ進撃を開始した。タンシャンで中国軍7個師団を殲滅したのを皮切りにモンゴル方面の中国軍を日満両軍との挟撃によって撃破することに成功した。中国軍はこの地に僅かの軍しか配置していなかったため突然の大軍の来襲に大した抵抗すらできず崩壊していった。北京の支配が確実となったことで、ドイツ空軍は北京に拠点を移し中国軍への攻撃を強めた。陸空からの猛攻に、瞬く間に華北の中国軍は壊滅していった。

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 華北戦線が順調に推移するなか、新疆では常勝不敗のマンシュタイン将軍以下9個師団がコルラで敗退するなど中国軍は粘り強い抵抗を見せていた。だが、中国軍はその兵力を少しでも華北に向けるべきであったといえるだろう。

8.25

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 枢軸軍本隊がチャントーに到着した。総勢143個師団にも上る大軍は瞬く間に中国大陸を制圧していく。

9月

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▲多国籍軍による中国大陸侵攻の図。なかなか見れないシーンかと(作者談)

 黄河に防衛線を築こうとする中国軍に対し枢軸軍が攻撃を開始、圧倒的な兵力差でこれを撃破し黄河越えに成功する。この枢軸軍の動きに焦った中国政府は、またもやドイツに和平を提案した。華北の一部を日本に割譲するという、前回の講和時と同様の講和条件であったが総統はこれを拒否し、更なる進撃を枢軸軍総司令官フリック元帥に命じた。

9.25

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 ドイツ初の航空母艦、「グラーフ・ツェッペリン」がロストク海軍基地にて就役した。進水式には総統も出席し、「栄光あるドイツ海軍に新たな1ページが刻まれた」と賞賛した。この1ヵ月後には対中ソ戦で建艦が遅れていた同型艦9隻も全て就役した。総統は、これでドーバー海峡の制海権を握り、イギリス本土への上陸ができると確信した。そしてイギリス本土上陸が成功すればアメリカ世論は反戦に傾き、トルーマンは講和に応じざるを得ないだろうと総統は考えていた。だが、この新造機動艦隊は2年と持たず壊滅する運命にあった。

11月

11.26

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 無人の野を突き進む中国派遣軍は遂に中国の暫定首都・重慶を占領した。中国政府は成都に移動するも、成都も1週間後に占領された。失意の中、蒋介石は昆明へ逃亡、最後の抵抗を試みた。だが、中国軍の奮戦空しく昆明は翌年2月4日にハンガリー軍によって占領された。中国政府はこれ以上の戦争遂行を断念、枢軸国に無条件降伏した。ドイツは中国に関する一切の権限を日本に委譲した。日本は中国に汪兆銘の傀儡政権を建て中国の一部を支配させた。これでユーラシア大陸で枢軸国に敵対する勢力は完全に滅亡した。
 ようやくドイツは対英戦に向けた準備期間に入ることになったが、1年余りに及ぶ時間を米英に与えたことで海軍力に於いては、巻き返しが困難なほどまでに差を付けられていた。

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〜つづく〜


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)