ドイツ 総統の夜の○夢

はじめに

1946年1月1日時点の主要国IC比較
国家名ドイツイギリスアメリカイタリア日本中国
実効/基礎取り忘れ取り忘れ不明分かりませんショウヘイヘーイ
前年比スモークチーズはあるかい?(‘A`)!?

 うわあ、これはデータの取り忘れですね。間違いない。なんだこれは・・・たまげたなぁ。

1946年1月1日時点の枢軸国軍
データ取り忘れた(←しゃぶれよ)
1946年1月1日時点の敵軍比較
国家名イギリスアメリカ
スパイ人数1010
歩兵師団
機甲師団!?
戦闘機系!?
爆撃機系
戦艦?!
空母?!
巡洋戦艦!?
小型艦艇!?

 うわあ、これもデータ取り忘れですね。たまげたなぁ。過熱した怠慢は遂に危険な領域へ突入する・・・。

3月

ヴェーゼル演習作戦 1940.3.11〜1946.3.6

3.2

 長らく放置プレイが続いていた、というよりも作者の頭からまったく記憶が消えていたヴェーゼル演習作戦が遂に本格的に開始されることとなった。史実で対独戦で忙しいソ連軍がフィンランド戦線を放置したのと同じ感じだろう。さしたる障害もない今となってはアメリカの戦略爆撃機の基地と化しているノルウェーはまさに目の上のたんこぶまではいかずとも、夜寝ていると「Boooonnnn!」と甲高い音で飛び回る蚊並みに鬱陶しい。

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 3月2日未明、ドイツ軍海兵隊を乗せた輸送船団がノルウェー首都オスロの沖合100kmまで接近、敵の出方を窺ったがノルウェー軍はおろか連合国軍の姿さえオスロにはなかった。海兵隊揚陸は夜明け前の6時から開始され5日に全部隊が揚陸完了、オスロを制圧した。VPを全て制圧したため翌日6日にノルウェーは併合された。ノルウェー領は北部がフィンランド、南部はドイツが支配することを独・芬の首脳間で決定された。

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ベルゲン沖遭遇戦 1946.3.9

 ノルウェーを制圧したことでドイツ海軍は新鋭機動艦隊をベルゲン沖に派遣し連合国軍の動きを牽制しようとした。対する連合国軍もノルウェーの陥落によりドイツ海軍が動くことを察知していたため、米艦隊がベルゲン沖に派遣された。

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 両者は3月9日未明にベルゲンから150km程離れた海域で遭遇した。ドイツは、最新鋭技術の結晶であるグラーフ・ツェッペリン級空母(嵯拭10隻を擁していた。一方米海軍は正規空母が1隻しかいなかったがドイツの空母よりも最新型の空母(七拭砲任△辰拭やはり一朝一夕では海軍育成は成らずといった形だが、どちらにしろ夜間なので空母の出る幕はなかった。また、両者とも上層部から本格的な戦闘を避けることを指令されていたため消極的な艦隊行動の後に両艦隊とも反転し海域を離脱した。ドイツ機動艦隊はベルゲン海軍基地へ入港、米艦隊は大西洋へと針路を取った。こうしてドイツ初の艦隊戦は消化不良のまま終了した。

ゲント沖海戦 1946.3.14

 ドイツ海軍軍令部は自身の機動艦隊に絶対的な信頼を寄せており、レーダー総司令官はもとよりデーニッツ他の海軍将校からも積極的に動くべきとの意見が相次いだ。こうした考えは、戦果を上げれば海軍の増徴を快く思わないゲーリングら一部の閣僚・軍人たちへの最大の牽制となり、更なる追加予算が海軍に計上されるからという背景があったから出てきたものだ。ドイツ機動艦隊は補給や艦の点検が終わると3月12日にベルゲンを出航、ドーバー海峡の玄関口ベルギー・ゲント海軍基地へと舵を取った。
 イギリスはドイツ機動艦隊がベルゲンを出航したとの情報を秘密裏にキャッチ、すぐさま英機動艦隊をゲント沖に派遣しドイツ海軍の到着を待ち受けた。3月14日未明、両者がほぼ同時間に電探で相手の位置を確認する。

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 両艦隊は距離を取り、航空機が使用可能となる夜明けを待った。朝7時、両艦隊の空母より攻撃隊が発進した。数で優位に立つドイツ海軍は積極的に大型艦を狙う。対するイギリス海軍は攻撃隊の数に押され気味になるも、海戦のノウハウではドイツ海軍を凌駕しており巧みな防戦でなんとかドイツ攻撃隊の第一波を食い止める。一方英攻撃隊は後方で機関故障のため本隊と離れていたドイツ空母パルシファルに集中攻撃を浴びせ航行不能に陥れ、護衛の軽巡が小破した。

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 7時30分、レーダー元帥は攻撃隊の第二波を発進を命令した。第一波からの報告により英艦隊の正確な位置を掴んでいたため、第二波攻撃隊は報告のあった場所から10km離れた地点で英艦隊を捕捉した。400機以上にも及ぶ攻撃隊により空母インドミタブル・戦艦ハイメ1世・重巡1が撃沈され、空母ハーミーズが大破、戦艦パウルス他5隻が中破し戦闘不能となった。
 8時21分、第二波攻撃隊がようやく帰投したため英艦隊は反転しゲント沖より退却を開始、ノリッジ海軍基地へ撤退した。ドイツ海軍はパルシファルが航行不能となっていたためこれ以上の攻撃は不要と判断、当初の予定であるゲント寄港を変更し、ドイツ海軍本拠地キールへと向かった。

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参加兵力ドイツイギリス
空母105
戦艦06
重巡05
軽巡32
駆逐97


戦果ドイツイギリス
撃沈空母1 戦艦1なし
大破空母1空母1
中破戦艦3 軽巡1 駆逐1なし
航空機133機71機

4月

ドーバー海峡航空戦 1946.4.20

4.15

 空母パルシファルがキールで大規模な修理作業が行われている中、ドイツ機動艦隊は更なる戦果を求め再びドーバー海峡へ進出した。前回の海戦で英海軍を過小評価する風潮がドイツ海軍内では広がっており、これがドイツ海軍の積極的な行動に繋がった。ドイツ機動艦隊は4月15日にキールを出港、フランス・ブレスト基地へと向かった。

4.20

 ドイツ機動艦隊のドーバー海峡横断の動きを掴んだイギリスは、あえて半ば手負いの艦隊を投入せず航空機による攻撃を決定した。イギリス空軍は1200機にも及ぶ大攻撃隊を編成、ドーバー海峡のドイツ機動艦隊へと殺到した(余談ですけど、コンピュータって普通に12飛行隊なんかを1飛行団にまとめてますよね?卑怯じゃないっすか?)。

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 イギリス攻撃隊の攻撃開始から1時間が経過した午前10時ごろ、猛攻撃の前にドイツ機動艦隊の主幹、空母グラーフ・ツェッペリンが撃沈された。搭乗していたレーダー元帥は沈没前に脱出したものの、通信統制が機能しなくなった。その後旗艦はすぐさま僚艦・空母バルバロッサに移されたものの、バルバロッサもグラーフ・ツェッペリン撃沈から20分後に弾薬庫の誘爆により轟沈した。レーダー元帥は軽巡エムデンに搭乗し全艦に撤退を指示するも艦隊陣形を乱されていたため撤退は困難を極めた。
 この間にも空母ザイトリッツが撃沈され、空母クラウゼヴィッツ・アメリカも小破した。重巡アトミラル・ヒッパー他護衛艦も戦闘不能となるなど機動艦隊はほぼその機能を失っていた。14時になってようやくイギリス攻撃隊が基地に帰投し戦闘は終結、結果としてドイツ海軍の大敗北に終わった。

参加兵力ドイツイギリス
空母90
戦艦00
重巡20
軽巡30
駆逐120


戦果ドイツイギリス
撃沈なし空母3
大破なし重巡1 軽巡1 駆逐4
中破なし軽巡1 駆逐3
航空機32機251機

ブレスト沖海戦 1946.4.23〜4.24

4.23

 ドーバー海峡での大敗北を受け、ドイツ機動艦隊はキールへの帰港は敵海軍の本拠地であるノリッジから近いことなどから危険と判断した。そのため、当初の予定どおりドイツ艦隊はブレストへと向かった。だがブレスト沖合では英艦隊が壊滅状態のドイツ艦隊を今か今かと待伏せしていた。4月23日、空母4隻からなる英機動艦隊はドイツ艦隊の捕捉に成功、攻撃を開始した。不意打ちを食らった形となったドイツ艦隊だが、局地的に雨の降る海域へ向かい難を逃れた。

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4.24

 明朝6時、両艦隊が接近を開始、イギリス艦隊は攻撃隊を発進させると戦艦4隻を中心とした打撃部隊をドイツ機動艦隊に突入させた。一方のドイツ艦隊は敵戦艦が旧式艦であったため最大戦速でこれを振り切ると共に駆逐艦による魚雷攻撃によって敵艦の連携を乱すことに成功した。この好機を逃すまいと発艦したドイツ攻撃隊が戦艦郡に攻撃を開始、戦艦ロイヤル・オーク・ロドニー・ロイヤル・ソヴリンを撃沈した。
 戦闘開始から1日が経過した正午、両艦隊は第二波攻撃隊を発進させた。イギリス側攻撃隊は空母クラウゼヴィッツ・ラインゴールトを撃沈し、ドイツ側攻撃隊も空母フューリアス、ヴィクトリアスを同じく撃沈した。お互いに出せる物を出し尽くした両艦隊は日没を合図に図ったかの如く撤退を開始した。この海戦以後イギリス海軍は海戦に消極的となったが、逆にドイツ海軍は制海権を握るチャンスとして仇敵同然である空軍との連携作戦により英海軍を苦しめていくようになる。

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参加兵力ドイツイギリス
空母64
戦艦05
重巡24
軽巡35
駆逐129
戦果ドイツイギリス
撃沈空母2 戦艦3空母2
大破重巡2 駆逐1重巡1 軽巡1
中破駆逐3駆逐2
航空機101機89機

5月

5.8

 ドイツ海軍と連合国軍海軍が北大西洋で熾烈な戦闘を繰り返す中、中東最後の中立国レバノンへオスマントルコ軍が侵攻を開始、これを併合する。この頃から日・満・泰軍が北アフリカ戦線に続々と集結しはじめ、第一次大戦を思い起こさせる程の塹壕戦を展開する。もっとも、数で優位なはずの枢軸軍がここまで苦戦するのは一重にイタリア軍の脆弱さが問題なのであるが。

シェフィールド空襲 1946.5.24

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 ドイツ空軍は海軍の要請を受け周辺海域の連合国海軍へ攻撃を開始した。空軍総司令のゲーリングはこれを機に改めて航空機の有効性を強調し自身の権勢を拡大させるつもりであった。同じ航空機を用いて大敗北を喫している海軍総司令レーダーに見せ付ける意味合いもあったと思われる。
 5月24日6時、800機以上にものぼる攻撃部隊がアムステルダムより発進、護衛機に守られながらシェフィールド軍港へ空襲を開始した。軍港には空母10隻を含む英海軍本隊52隻が停泊中であった。空襲は4時間あまりにわたって連続的に行われ、撃沈には至らなかったが多大な損害を与えることに成功した。

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 この空襲で一定の戦果を収めることに成功したことで、以後継続的な湾内空襲が続けられ英海軍はその機能を喪失していく。一方のドイツ空軍もRAFの抵抗が次第に激しくなっていき被撃墜数が日に日に増加、2ヵ月後に目標を達成したとして空襲を中止した。

6月

6.13

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 45年ごろからドイツは長年続けてきた核開発計画「シュタインベルク計画」を更に促進させていた。この背景には、アメリカが既に核兵器の実用化に成功しており、その同盟国イギリスも着々と核開発を進めていたという切迫した情勢があった。そして核兵器を手に入れれば難攻不落の英本土への上陸が可能となると思われていた。
 そんな思惑が交錯するなか、6月13日、ライプツィヒにおいてドイツ初の原子炉が完成した。この時点ではドイツは核兵器製造技術を持っていなかったが、これは明確な核開発の意思表示であり連合国軍もこれを見逃さずライプツィヒの原子炉への爆撃を幾度となく行うようになる。

ウォッシュ湾海戦 1946.7.9〜7.10

7.9

 ブレスト沖海戦から何とか立ち直りを見せ、空母パルシファルの修理も終了したドイツ海軍はシェフィールド軍港で停泊中の英艦隊への攻撃を実施した。この頃にはドイツ空軍がRAFの抵抗により空襲が小規模かつ限定的なものになっていたので英艦隊はわずかながらに回復しつつあった。レーダー海軍総司令は英艦隊が弱っている今こそ攻撃の好機であると主張し、攻撃計画を策定し自ら機動艦隊を率いシェフィールドへ向かった。

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 14時より始まったドイツ側の航空攻撃により重巡1が中破したが目だった成果は得られなかった。日没の17時をもってドイツ攻撃隊は帰投を開始、シェフィールド軍港から200km離れた沖合いで艦隊を停止させた。英艦隊はこのドイツ側の暗号を解読、停泊中を狙って戦艦部隊による夜戦を敢行した。

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 21時、シェフィールド沖では雨が降り始め視界が極端に悪くなっていた。そんな悪天候のなか英艦隊が完全に停止しているドイツ艦隊に対し突撃を開始した。戦艦部隊による一斉砲撃の後に空母から発進した英攻撃隊による夜間空襲が開始された。ドイツ艦隊はこの奇襲攻撃に狼狽した。レーダー元帥はジグザグ航行で敵の砲撃を避けると共に同じく空母から直掩機を発進させ英攻撃隊を迎撃した。23時、英攻撃隊の魚雷攻撃がアメリカに命中、大破炎上した。空母ゼーレーヴェにも機関部に1000ポンド爆弾が命中、復旧したばかりのパルシファルも格納庫付近に爆弾が命中し大破した。

7.10

 夜明けと共に態勢の立て直しに成功したドイツ艦隊は空母から攻撃部隊を発進させた。6時30分、ドイツ攻撃隊がウォッシュ湾に退避していた英機動艦隊に爆撃を開始し正規空母グロリアスを撃沈することに成功、戦艦クイーン・エリザベスもこの攻撃により撃沈された。英艦隊はドイツ側の空爆終了後、再び戦艦部隊による攻撃を実施し炎上中の空母アメリカ、重巡ドイッチュラントを砲撃によって仕留めた。対するドイツ艦隊は就役間もない最新型駆逐艦の魚雷攻撃で重巡サセックス・グローリーを沈めることに成功した。11時、これ以上損害が増えるのを恐れた英艦隊は反転し始め、ドイツ艦隊も攻撃を中止し艦隊陣形の建て直しを行った。
 その後、ドイツ艦隊は空母部隊の損害の多さからこれ以上の作戦遂行は不可能と判断し、キール軍港へ退却を開始した。ウォッシュ湾の英艦隊もドイツ艦隊の退却を確認するとシェフィールド軍港に帰港した。この海戦でドイツ海軍は優秀な空軍パイロットを多く失い、空母自体も大幅な修繕が必要となるなど戦術的には引き分けも、作戦行動が一切取れなくなったという点から戦略的には敗北した。一方の英艦隊もドイツ海軍の意図を挫くことに成功はしたものの、こちらも作戦行動に支障が出るほどに被害が出ており、更にその動きが消極的になった。この海戦以後は米艦隊が大西洋における制海権を握るようになり、後年、戦力を回復したドイツ艦隊と死闘を繰り広げることとなる。

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参加兵力ドイツイギリス
空母54
戦艦06
重巡16
軽巡15
駆逐1210


戦果ドイツイギリス
撃沈空母1 戦艦1 重巡4空母1 重巡1
大破空母1 戦艦1空母1 軽巡1
中破戦艦1 重巡1空母1 軽巡1 駆逐2
航空機61機101機

バトル・オブ・ブリテン 1946.9.6〜47.1.10

 ドイツ海軍の大敗北を受け、英本土上陸作戦「秘匿名:あしか作戦」の実施を危ぶむ声が軍内から出るようになった。総統も早々にイギリスを下し戦争を終結させたかったが、切り札となる機動艦隊が壊滅していたためそれも不可能となった。そこで、空軍総司令ゲーリングは戦略爆撃によってイギリスの継戦能力を削ることを総統に提案した。総統もこの提案に賛成し、ドイツはむろん、枢軸国諸国からおよそ6000機以上の航空機がブリテン島爆撃作戦のため集結した。

9.6

 夜明けと共にフランス各地から飛び立った枢軸国軍機がイングランド南部へ殺到した。ブリテン島各地で空は航空機で埋め尽くされ、エンジンと爆撃の轟音が絶え間なく鳴り響いた。RAFは勝ち目のない戦闘をせず早々とスコットランド方面へ撤退したため、イギリスは対空砲のみでしか応戦ができない状況となっていた。ポーツマスは初日の爆撃で都市が半壊し対空レーダーや滑走路など軍事施設もほぼ使用不可となった。枢軸国空軍はブリテン島の工業地帯を徹底的に爆撃し、次第に爆撃範囲はイングランド北部にまで拡大していった。

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 だが、次第に撃墜や故障などで航空機の稼働率が落ち始めた枢軸国空軍に対しRAFが局地的な反撃を開始、戦闘機の集中投入により、11月までにはイングランド北部より枢軸国空軍を追い出すことに成功した。RAFの抵抗が次第に強まるに連れて空軍の被害も右肩上がりに増加を続けた。ゲーム的な話になるが一時は戦力補充に必要なICが70を突破するほどまでに被害は激増した。夜間爆撃に切り替え、爆撃範囲を縮小させるなど様々な対策を講じた枢軸国空軍も、RAFに制空権をほぼ取り戻されている中でこれ以上の爆撃は不可能と判断、1月10日のポーツマス空襲を最後に枢軸国空軍はイングランド方面における一切の作戦を中止した。
 この一連の戦いで撃墜された航空機は3000機以上にものぼり、殆どの飛行隊の戦力が定数以下となるなど悲惨な状況であった。それでもゲーリングは一時的であってもイギリスに与えた影響は大きいと主張、更なる空軍拡大を総統に求めた。総統は戦略爆撃機の拡充を約束したが、以後、航空機による戦略爆撃を無期限延期し新兵器・ミサイルによる攻撃を実施するようゲーリングに伝えた。

 海・空と敗北が続き、国民の士気にも影響が出始めていた。それはイギリスも同様であった。だが、果てしない破壊の連鎖は未だその続きを人類に求めていた。最後に笑うのは誰か。それは作者すら知らない(ぇ

〜つづく〜

あとがき

 今回は海戦メインとなっています。明らかに作者が一つのことにしか集中できないということが丸分かりですね。まあ、対ソ中戦しながら海戦もこなす人はそうそういないと思いますがw。コメント欄に書いた内容と重複しますが、海戦は陸戦と違い支援攻撃がないため、殆ど1vs1のサシ対決となります。そのため難易度の影響をかなり受けてしまうのです。戦闘補正は無論のこと、敵艦隊(というより米艦隊)はキール軍港を空爆した後、超高速移動で1日たらずでドーバー海峡を抜けます。当然航空部隊に艦船攻撃命令を出していますが、担当海域で捕捉した瞬間に敵艦隊に離脱されます。離脱前に攻撃を開始しようとしたら、RAFの手厚い歓迎を受けます。米艦隊用に厳しい生産状況の中、海軍攻撃機を8個飛行隊作りましたが、RAFとの空戦で3個飛行隊が1回の空戦で壊滅しました。空戦・海戦ともある一定の時間内(といってもゲーム内で1時間程度)は退却不可能なのですが、その僅かの時間にバンバン落とされます。もう鬼です。何度ロードしようかと思ったでしょうか。
 まあ、そんな愚痴はどうでもいいですねw。自分は文才ないので所どころ文章がおかしい点がありますが、「ああ、作者は必死なんだな」と感じていただければ幸いです。それでは、また図書館に。


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3595d)