ドイツ 総統の夜の○夢

はじめに

1947年1月1日時点の主要国IC比較
国家名ドイツイギリスアメリカイタリア日本中国
実効/基礎355/273157/98545/363107/72200/108147/98

 日本が中国を下したことで列強のうち、連合国側はアメリカとイギリスのみとなった。この時点で勝敗は決しているようにも見えるが、アメリカが依然他国より頭一つ抜けている状況であり、枢軸国側は連携してこれに向かっていかなければならない。
 だが、各国ともそれぞれ思惑があるらしく、日本は東南アジアを占領しないし、イタリアは北アフリカで塹壕戦を展開している以上、ドイツ単独で米英に対抗しなければならない現実がある。

1947年1月1日時点の枢軸国軍
国家名ドイツイタリア日本
歩兵師団195111386
機甲師団2156
戦闘機系23130
爆撃機系8026
戦艦045
空母3010
巡洋戦艦003
小型艦艇273370


1947年1月1日時点の敵軍比較
国家名アメリカイギリス
スパイ人数1010
歩兵師団83146
機甲師団2820
戦闘機系2313
爆撃機系80
戦艦202
空母350
巡洋戦艦00
小型艦艇225108

 日本の歩兵師団が多いのは中国から援軍を受けているからと思われるが、それでもかなりの大軍である。だが、その殆ど全てがプロヴィンス防衛任務中か、北アフリカに派遣されているかであり、ドイツにとって何ら利することのない案山子であるむしろ、作者のPCを痛めつけている悪の枢軸。イタリアは北アフリカを支えるのがやっとという状況である。内部データをのぞくと、どうやらイタリア軍はサプライズ度?混乱度?みたいなものがあり、通常1.000の所が1.900になっていた。弱い理由がようやく分かった。

 アメリカの空母保有数が35隻に達する。なお、後で分かったことだがこの数に軽空母は含まれていない。軽空母を入れるとその数は優に50隻を超える。まさに鬼である。イギリスは身の丈に合った軍拡の仕方をしており、軍編成の雛形ともいえる。ただ、海軍に関してはドイツとの戦闘で完全にその機能を喪失しており、これから回復するには資源と時間の無駄遣いとも思える。

47年1月

ケルト海海戦 1947.1.21

 前年のウォッシュ湾海戦で手痛い打撃を受けたドイツ海軍は、47年1月頃より軍事行動を再開した。艦隊再編も終了し、ドイツ海軍は新造巡洋・駆逐艦を配備し防空体制を強化し、より機動艦隊の形に近づいていた。ドイツ艦隊はまず、手始めとしてドーバー海峡付近の哨戒を開始した。幸い、英海軍は港湾空襲により壊滅状態にあったため、さしたる脅威は無いとレーダー海軍総司令は判断した。だが、このいささか突発的な哨戒任務の裏にはレーダー自身が自分のメンツを回復するためにも何らかの戦果を求めていて、それが彼を性急な行動に駆り立てたという側面があったかもしれない。閉鎖的な組織でトップを維持するには、それ相応の悩みがあるのだろう。

 かくしてドイツ海軍はロストク海軍基地を出港、一路ドーバー海峡へと向かった。このドイツ海軍の動きを予測していなかったため、同じくドーバー海峡を哨戒していた連合国海軍は1月中旬までに10隻が撃沈された。だが、いずれも小型艦艇であったため、敵海軍にとっては大した打撃ではなかった。より大きい戦果を求めるため、レーダー元帥はイギリス侵攻作戦「あしか作戦」の下準備として、ドーバー海峡を抜けケルト海にまで威力偵察を名分に進出し、イギリスに圧力を掛けた。
 前年の反省としてドイツ海軍は空軍に頭を下げ、この海域に戦闘機を出してもらい、制空権を握ることで敵爆撃機による空襲を阻止した。このためイギリス軍は何ら有効な措置を取れなかった。しかし、イギリス軍に代わりに事実上の連合国盟主となっていたアメリカがこの危機的状況に遂に重い腰を上げた。アメリカ海軍はその手始めとして小規模機動艦隊をケルト海に派遣した。

1.21

 1月21日、派遣された米艦隊はドイツ艦隊を捕捉することに成功した。すぐさま攻撃命令が下り、最新鋭ジェット艦載機がドイツ艦隊めがけて発進した。

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▲数的有利を活かせなかったドイツ艦隊。

 電撃的に攻撃を開始したアメリカ軍に対しドイツ艦隊の対応は遅れた。数ではドイツ艦隊が上回るものの航空兵力では米艦隊が上回っており、しかもアメリカ軍がジェット艦載機なのに対し、ドイツ軍はそれより旧式の艦載機(この時点でドイツは準現代型空母の研究を終了していたが、準現代型艦載機の改良は進んでいなかった。例えるなら零戦二一型とF6Fが戦闘してるようなもの)しか搭載していなかった。また、アメリカ軍は新兵器として空対艦ミサイルを標準装備しており、アウトレンジからドイツ艦隊を攻撃した。
 開戦から3時間余りで空母ゼーレーヴェ、ペーター・シュトラッサー、パルシファルが撃沈された。一方の米艦隊は軽空母1隻と軽巡1隻、正規空母1隻が中破したに留まり、アメリカ側の圧勝で戦闘は幕を閉じた。

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 壊滅的な打撃を受けたドイツ海軍はキール軍港へ撤退を開始、48年に新造空母が完成するまで活動を停止した。

参加兵力ドイツアメリカ
空母37
戦艦00
重巡10
軽巡51
駆逐111


戦果ドイツアメリカ
撃沈空母3軽空1 軽巡1
大破軽巡1なし
中破駆逐3空母1
航空機181機22機

1.27

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 キール軍港に退避したドイツ艦隊に対し、更なる追い討ちを掛けるため米機動艦隊が波状的にキール軍港を空襲、駆逐艦1隻が撃沈された他、重巡1、軽巡1、駆逐2が大破するなど散々な有様であった。だが、この空襲はなによりもドイツ海軍の総本山であるキール軍港で行われたものであり、ドイツ海軍の有名無実化が明らかになった事件でもある。この失態はレーダー元帥のメンツをこれでもかという程に引き裂いた。彼が新興カルト教団を設立する1ヶ月前の事であった。

47年5月

5.20

 ヴィシーフランスは、かねてよりドイツから要請があった同盟の打診を受諾した。制裁辞さずの強硬な態度の前に屈した形となったが、これにより無防備を晒すヴィシー領アフリカは連合国軍の草刈場と化した。また、地中海ではフランス海軍とヴィシー海軍の機動艦隊が交戦するなど、同民族による流血が始まった。

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47年12月

12.6

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 ドイツがイギリスに対する戦略爆撃の切り札として研究にまい進していた弾道ミサイルの前身、V1が11月、遂に実戦配備となった。幾多の実験の末、12月6日、フランス・リールから発射された10発のV1は総統の強い意志を込めイギリス領へと飛翔、落下した。

 だが落下はしたが、どうやら農地か山地のどこかに落ちたらしく、敵の軍事施設・工場地帯に全く損害を与えることはできなかった。ピーターさん(仮称)の農地10ヘクタールは使い物にならなくなったと自分に言い聞かせようとする総統とゲーリングであったが、その後のV1による英本土攻撃も全く成果を挙げることはできず、年内にV1の生産を打ち切られることが決定された。

 ミサイル開発は後にドイツがブリテン島を制圧したことで一時凍結されたが、その後のアメリカ戦で重要なファクターとして位置付けられ、より長射程で破壊力がある大陸間弾道ミサイルが開発されることになる。

48年1月

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▲作者必死の図

 明けて48年、ドイツは海軍再建を目指し大建艦計画を始動させた。現代型空母10隻を新たに建造するほか、重巡洋艦も5隻、軽巡・駆逐も相当数が建造をスタートした。また、対連合国の切り札である核開発用の原子炉も新たに建設が決定された。作者必死である。AIごときに舐められるようではいかんのだよ!

48年2月

2.15

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 準現代型空母9隻がロストクにて就役、ドイツ海軍本隊と合流した。また、日本から軽巡「能代」、スペインから軽巡「ハイメ1世」を多大な資源と引き換えに提供してもらい、艦隊に組み込む。増強が完了したドイツ海軍は’性懲りもなくドーバー海峡へ進出、フランス・シェルブールを根拠地とした。

 ドイツ海軍が不在であったドーバー海峡は連合国艦隊の溜まり場と化していたが、新鋭ドイツ艦隊により早々に駆逐された。ドイツ機動艦隊は哨戒任務中の英海軍軽巡ニューキャッスルを撃沈する他、前年の悪夢の海域ケルト海でカナダ海軍所属の2隻を沈めるなど出だしは好調であった。だが、これでレーダー元帥が満足するはずはなく、新たな獲物を求めポルトガル方面へと舵をとった。

コスタヴェルデの海戦 1948.4.9

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 ポルトガルへ向かう途上、米機動艦隊を捕捉したドイツ艦隊はこれを艦載機で奇襲することに成功した。だが、不意を突かれた格好となった米艦隊もすぐさま応戦、双方の航空機による攻撃の応酬が続けられた。だが航空機の数で勝るドイツ側が次第に優勢に立ち始め、19時、米空母ベニントンが爆弾10発を被弾し撃沈させる。その他の空母・戦艦などの大型艦にもかなりの損害を与えることに成功した。
 一方のアメリカ側も対艦ミサイルをドイツ空母ゲルマニア、ローエングリンに命中させ中破させるなど奮闘するも形勢不利と悟り撤退を開始、ドイツ側もすでに日没で有効な戦闘オプションを持ち合わせていないこと、被害の拡大防止のために追撃を断念、艦隊の修理・再編の為フランス・ボルドー海軍基地へと向かった。

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▲ニミッツ指揮の機動艦隊。後にドイツ艦隊と作者を苦しめる。

 だが、アメリカ軍はこの海戦にニミッツ海軍総司令が指揮する機動艦隊を参加させる予定であった。しかしスペイン空軍によってラコルニャ沖で捕捉・空襲されたため、大西洋へと一旦退避していた。このニミッツ艦隊とレーダー艦隊が後のリスボン沖海戦で激突することとなる。

参加兵力ドイツアメリカ
空母95
戦艦04
重巡04
軽巡77
駆逐1412


戦果ドイツアメリカ
撃沈なし空母1
大破なしなし
中破空母2空母1 戦艦1 重巡1
航空機31機88機

48年5月

 準現代型空母4隻が新たに就役し、ダンツィヒの第2艦隊に配属された。また、原子力重巡洋艦の建造も開始されるなどドイツ海軍は全盛時代を迎えていた。だが、そんな余韻を一瞬にして打ち消してしまう出来事が起こった。ドイツ海軍史上最悪の日は着実に近づいてきていた。

リスボン沖海戦 1948.5.17〜18

 空母の補修が完了したドイツ機動艦隊は再び針路をポルトガルへと向けた。このポルトガルへの艦隊派遣の目的は地中海への航路を確保しドイツ陸軍の北アフリカ介入を目指したものとも言われているが、実際はレーダー元帥とその腰巾着による独断という見方が一般的である。艦隊のポルトガル派遣に批判的なアルブレヒト海軍中将ら新進派は新造空母4隻を擁する第2艦隊、打撃艦中心の第3艦隊の派遣を拒否した。
 この時のドイツ海軍の命令系統は決して一本化されてはおらず、それぞれの派閥内でそれぞれの考えを元に、与えられた艦隊を運用していた。これは近代海軍の組織としては失格である。レーダーによる親政が組織の革新の芽を摘んでいたのだ。にわか仕込みの海軍ドクトリン・運用形態への若手士官の反発、レーダー自身の指導力・求心力の低下など、ドイツ海軍は自ら瓦解していた。

5.17

 5月17日13時、フランス・ブレスト基地を出港したドイツ第1艦隊はポルトガル・リスボン近海にて米機動艦隊の電探に成功した。レーダー元帥はすぐさま航空機による攻撃を指令、艦上では未だレシプロ機の艦載機が発艦作業に入った。事前にドイツ側の暗号を解読することに成功していた米機動艦隊その隙を突き、艦載機による波状攻撃を行った。

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▲あ・・・ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは圧勝できると思っていたらいつのまにか空母が全滅していた』 

 米艦載機による波状攻撃から10分持たずに旗艦・空母グラーフ・ツェッペリンに対艦ミサイルが命中、艦上に展開中だった艦載機に誘爆し、数度の大爆発の末に轟沈した。史実のフォークランド紛争を見ても分かるとおり、この時代では対艦ミサイルによる防御手段は確立されておらず、ドイツ艦隊はまさにタコ殴りの状態となった。
 対するドイツ側も数を頼みに米艦隊へ攻撃を仕掛けるも、艦載機のスツーカの優秀な点である急降下爆撃は海戦では裏目に出た。逆に魚雷が搭載できず、急降下爆撃しか出来ないことから、至近距離からでしか打撃を与えられなかったのだ。同じ同盟国の日本・イタリアが航空魚雷を有効活用しているのに対しドイツがこれを採用しなかった理由は今をもって不明であるが、ドイツ航空機の開発陣に魚雷攻撃などの海軍知識に対し理解が不足していたこと、生産効率上、海戦特化機を作ることに対し抵抗があったことなどが挙げられるが、これほどの機動艦隊を持っていても、終ぞ魚雷搭載型の艦載機は開発されることは無かった。
 そのような艦載機による攻撃では、戦艦オクラホマを撃沈するのが精一杯であった。攻撃隊の殆どは対空砲火と直掩機により撃墜され、ドイツ艦隊は有効な攻撃オプションを全て失ってしまった。

5.18

 アメリカ側の攻撃は夜になっても終わることはなかった。遠赤外線誘導による対艦ミサイル攻撃、戦艦部隊のレーダー射撃などにより、ドイツ艦隊はただいたずらに被害を拡大させていった。開戦直後から命令系統が喪失したことがドイツ艦隊の組織行動を失わせることに拍車を掛けていた。18日5時、ようやく軽巡シュトゥットガルドに旗艦を移したドイツ艦隊は集中攻撃を受けていた空母ラインゴールト・リヒトホーフェンを見捨て、残存艦隊を率い撤退を開始した。これを米艦隊が逃すはずもなく、残存艦隊に向け砲火を集中、空母ザイトリッツ、軽巡ドレスデンが米戦艦の砲撃を受け撃沈された。
 8時、スペイン空軍の掩護を得、ようやく戦闘海域を脱することにできたドイツ艦隊であったが、脱出できた艦艇は16隻、約半分しかいなかった。特に空母は軒並み撃沈され残存艦隊も航行するのがやっとという状況であり、まさにドイツ海軍史上最悪の日となった。

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参加兵力ドイツアメリカ
空母97
戦艦05
重巡04
軽巡75
駆逐149


戦果ドイツアメリカ
撃沈戦艦2 重巡1 駆逐4空母9 軽巡2 駆逐3
大破駆逐2軽巡1 駆逐3
中破空母1軽巡2 駆逐5
航空機59機621機

 作者的には無かったことにしたい海戦です。必死に他海域をクリック連打しましたが、何故か撤退することができず、米艦隊にいいようにボコられました。ああ、恥ずかしすぎる・・・。

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 ドイツ艦隊はその後、ダンツィヒへ撤退、第2・3艦隊と合流した。レーダー元帥はドイツ軍司令部、そして総統へ被害を過小申告し、馬の合わないアルブレヒト中将他、反レーダー将校らに敗戦の責任を負わせ予備役へと降格させた。だが、これほどの大敗北を隠しとおせるわけがなく、後に総統がスペイン・フランコ首相と会談した際、フランコからこの海戦の全貌を聞かされ総統は始めて真実を知る。激怒した総統はレーダーを罷免・拘束し、アルブレヒト中将を二階級特進の元帥に昇格させた後、海軍総司令官に任命する。だが、それまではレーダーによる強権政治とも言うべき海軍の私物化が進められ、
更なる悲劇へと続くこととなる。

北海海戦 1948.12.8

 艦隊を再編させたレーダーは、10月ごろより再び艦隊を大西洋に移し、北海の哨戒に当たった。最新鋭重巡を従え、意気揚々のレーダー艦隊を襲ったのは、またしてもニミッツ艦隊であった。両者は北海中西部にて交戦状態に入った。だが、ドイツ側空母6隻に対しアメリカ側は8隻を投入、明らかに勝敗が見えていた。

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 開戦から米艦載機による猛攻撃を浴び、空母バロバロッサが1時間ともたず撃沈し、その他のドイツ艦艇にも続々と火柱が立った。ニミッツ自身が攻撃をためらってしまうほど一方的な戦闘は夜明けと共に終了、米艦隊は追撃せず、そのまま大西洋へと向かった。対するドイツ艦隊はまたもや大敗北し、空母3隻、新造重巡5隻を失う。

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 失意のうちにキールに戻ったレーダーがSS親衛隊に逮捕されたのはこの2週間後のことであった。ドイツ海軍は新たな活力を必要としていた。

参加兵力ドイツアメリカ
空母68
戦艦08
重巡54
軽巡52
駆逐198


戦果ドイツアメリカ
撃沈なし空母3 重巡5
大破なし駆逐2
中破空母1軽巡1 駆逐3
航空機23機275機

 米海軍は一連のドイツ海軍の行動を完全に阻止すべく、キング海軍大将らが指揮する大西洋艦隊を北海方面に派遣する。

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▲この他にも似たような構成の艦隊が4つほど存在。

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▲ドイツ海軍お膝元のキールにまで出現。

 もとより、アメリカ海軍がニミッツ艦隊を失ったとしてもそれに代わる艦隊ならいくらでもあった。バカ正直に米艦隊との決戦を望むより、航空機による攻撃を行うべきであった。だが、結局この意見もこの結果を目の当たりにしているからこそ言えるものであり、新造空母9隻を1度の海戦で失ったりするとは誰も予想できなかったであろう。だが、結果があまりにもお粗末だっただけにレーダーへの批判はもっともである。「人を見て法を説け」の故事を改めて再認識する結果となった。

〜つづく〜


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)