ドイツ 総統の夜の○夢

はじめに

1950年1月1日時点の主要国IC比較
国家名ドイツイギリスアメリカイタリア日本中国
実効/基礎406/31010/6563/363106/71200/108156/92

 イギリスカワイソス。ブリテン島を制圧したドイツがIC400台に突入。「輸送艦を建造しろ」「すれば米本土に上陸させていただけるのですね」などの会w(ry

1950年1月1日時点での各国の陸海空軍一覧

国家名/兵種歩兵騎兵自動車化機械化軽戦車戦車空挺兵海兵山岳兵守備隊司令部民兵合計
日本7485010805884447910
ドイツ1830104020011436110279
イタリア136200010102933012223
ハンガリー154600010001000171
アメリカ3802021021025028110164
イギリス11302208010023131


国家名/兵種空母軽空母戦艦巡洋戦艦重巡洋艦軽巡洋艦駆逐艦隊潜水艦原潜輸送艦合計
アメリカ452221039571419027361
日本14743102747601119
ドイツ8800671300951


国家名/兵種戦闘機迎撃機近接航空支援戦略爆撃機戦術爆撃機海軍爆撃機輸送機飛行爆弾ロケット合計
アメリカ233902234000100
ドイツ418200201200074
イタリア0230012710052



 各国の軍隊の数は偵察衛星「nofog」によって判明した。別に対人戦以外では隠す必要ないと思うけどねぇ。
 陸軍を見ると日本の歩兵がすごいことになっている。中国からの援軍もプラスされていることを考慮してもこれは異常である。逆にアメリカは機械化が進んでいることが一目瞭然である。
 空軍ではアメリカが1位、2位にドイツがつけているが、両国の空軍機種比率はまったく違う。アメリカは近接支援・戦術爆撃機が無い代わりに海軍爆撃機を重視している。これがお国柄というやつのかもしれない。
 海軍ではアメリカが断トツのトップ。ちなみに表は省略してあるが、ドイツの艦船保有数は意外にも7位である。3位がヴィシーフランスの63隻だが、質から言えばドイツは第3位でもおかしくは無い。

50年1月

 アイルランド・ブリテン島の支配・治安維持のためにはそれ相応の兵力が必要となる。アメリカがイラク1国に何十万という軍隊と何千億ドルという戦費を費やしているように、ドイツもIRAが猛威を振るうスコットランド地方を統治している以上、この地域に軍隊を駐屯させなければならないのは必然である。放置しておいて、パルチザンが沸いたところを討つというのが一番楽な方法ではあるが、兵站能力の低いドイツにとってTC圧迫は一番避けなければならない問題である。「非常に難しい」をプレイして一番気を使ったのが補給である。TCがオーバーしていなくても敵地では統制値回復が+1いけば良いほうなのでTCオーバーは死活問題である。作者の言っていることが分からなかった読者の皆様はしゃぶれよ。

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 アイルランドには9個師団、ブリテン島には35個師団を駐屯させる。いちいち部隊の名前を変えるのは作者の趣味である。ニヤニヤしながらキーボードを打っていた気がするが、こういうのが好きな人、他にも何名かいるだろう。

50年3月

3.24

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 ドイツの外交攻勢により南米・ベネズエラが枢軸同盟に参加、連合国各国に対し宣戦布告を行った。この同盟は単に仲間を増したという結果だけではなく、「アメリカ大陸攻略への橋頭堡を得た」という大きな意味もある。これでドイツの米本土への侵攻ルート2つに増えた。ひとつはアイスランド─グリーンランド─カナダ経由の大西洋ルート、これはドイツが前々から作戦を立てていたルートである。もうひとつはベネズエラから直接アメリカまで攻め上る北進ルートである。

 大西洋ルートの一番の利点はアメリカの重要都市が連なる東海岸に近いことである。東海岸を奪えばアメリカの国力は半減するので、対米戦初期にこの地域を占領することは後々の戦闘にも影響を及ぼすことになる。欠点としてはアメリカ大陸への上陸には軍隊を輸送船で強襲上陸させるぐらいしか方法が無いということ。当然米海軍も必死になって抵抗してくることが考えられるためリスクが非常に大きいのだ。

 ベネズエラからの北進ルートの利点は強襲上陸をしなくても良いという点と陸地続きである点である。つまり、アメリカ側に分がある海軍を使わずとも直接アメリカ領に侵攻できるということだ。欠点はヨーロッパからベネズエラまでの軍隊の輸送である。かなりの長距離を輸送するにはこちらもかなりのリスクが伴う。
 また、インフラ状況が劣悪で機甲師団には向かない地形であること、メキシコを越えアメリカ領に侵攻しても、西海岸にある重要都市はサンフランシスコ・ロサンゼルス・シアトルなど、東海岸と比べて少ないことである。テキサス・西海岸を失ったとしてもアメリカにとっては手痛い打撃でもなく、東進する頃には強固な防衛線が貼られている可能性が高いのだ。

 こういった情報を総合的に判断した結果、ドイツは大西洋ルートを選択した。航空部隊はスコットランド・スカパフローに集結、足がかりとなるアイスランドの占領を目指し周辺海域の哨戒を開始した。コメント欄を参考にした結果、「AIは航空機が哨戒中の海域には艦隊を派遣しない」という思考パターンを利用し(プレイヤーチートっぽいが)、上陸地点となるアイスランド・レイキャビクまでの海域の安全の確保に成功した。

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50年5月

アイスランド制圧作戦 1950.5.12〜5.28

 
 空軍の哨戒によりベルギー・ゲントから、アイスランド・レイキャビクまでの海路から連合国艦隊を排除することに成功したドイツ軍は5月12日、海兵隊11個師団、歩兵1個師団を搭載した輸送船団をゲント軍港から出港させた。ドイツ機動艦隊の護衛を受けつつ、5月16日にレイキャビク沖に到着した。レイキャビクへの上陸作戦は夜間に実施された。事前のドイツ空軍の阻止爆撃によってレイキャビクに駐屯していたアメリカ軍の機械化歩兵師団1個は既に戦意を喪失していた。そのため上陸作戦は無事成功、潰走した防衛部隊をホプンで殲滅することに成功した。
 5月末までにはアイスランド全域を占領したドイツ軍は、スカパフローの航空部隊をレイキャビクに移動させ、北大西洋のほぼ全ての海域で哨戒を開始した。

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 アイスランドの失陥はアメリカにとっては痛手であった。レイキャビクを押さえたドイツ軍の航空部隊が北大西洋に跋扈している状況では、迂闊に艦隊を動かすことはできないのだ。ゲームではレイキャビクはVP0の不毛の土地であるが、両国にとってはVP50に値する地であった。

50年6月

グリーンランド制圧作戦 1950.6.15〜6.24

 アイスランドを制圧し、北大西洋のほぼ全海域の制空権・制海権を握ることに成功したドイツ軍であったが、航続距離の関係で東海岸沿海までは爆撃が出来なかった。航空支援なしでは、北米大陸への上陸はほぼ不可能であるため、ドイツ軍はグリーンランドを占領、同地に航空基地を建設することで北米での制空権・制海権を得ようとした。
 6月15日、海兵隊14個師団を載せた輸送船団がレイキャビクを出港、一路グリーンランドへと向かった。グリーンランド沖にはギリギリ航続距離が足りなかったため、機動艦隊による周辺海域の哨戒が行われていたが、神出鬼没で鳴る米機動艦隊は6月24日、グリーンランド沖で上陸準備中のドイツ輸送船団を捕捉、これに対し攻撃を開始した。ワンサイドゲームはドイツ側の撤退で幕を閉じ、多くの輸送船と海兵隊5個師団を失ってしまう。ドイツ軍はグリーンランドの占領を断念せざるを得ず、新たな前進基地として、ポルトガル領で、現在はアメリカの支配を受けているアゾレス諸島の占領を目指すこととなった。

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50年9月

9.10

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 ドイツ軍は北米大陸への新たな前進基地としてアゾレス諸島を無傷で占領することに成功した。航空部隊による哨戒によって米艦隊は手を出すことができなかったため、上陸はつつがなく実施された。アゾレス諸島を占領したドイツ軍は同地の航空基地を拡張し、前にも増して北大西洋での航空部隊の哨戒を強化した。この航空部隊の活躍により連合国艦隊は次々に撃沈され、連合国軍の海軍将士らは大西洋を「魔の海域」と呼び恐れた。

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51年1月

ニューファンドランド制圧作戦 1951.1.08〜1.16

 北大西洋における制空権・制海権を確固たるものとしたドイツ軍は、明けて51年1月、北米攻略へ向け更なる前進基地の獲得を目指した。その地とはイギリス領ニューファンドランドである。カナダ・ケベック地方の東に位置するこの地は軍港・航空基地が存在しており、北米大陸上陸のための根拠地としては申し分なかった。だが、アメリカ・カナダからかなり近い位置にあるため、敵の抵抗もかなりのものと予想された。しかし、アゾレス諸島から北米へ支援爆撃を行うには非常に難しく、ニューファンドランド以外に根拠地となる候補がなかった。

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 かくしてドイツ航空部隊はニューファンドランドの周辺海域の哨戒を厳にし、敵艦隊をこの海域より駆逐させると共に、機動艦隊の護衛を受け、海兵隊8個師団を載せた輸送船団がニューファンドランドへ向けアゾレス諸島より出港した。輸送船団がニューファンドランド沖に到着したのは1月12日であった。すぐさま海兵隊の上陸が開始されたが、この動きを察知していた米機動艦隊が同じくニューファンドランド沖に出現、たちまち機動艦隊同士の戦闘が勃発した。

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 しかし、米機動艦隊は確実にドイツ航空部隊の哨戒で戦力を消耗しており、対するドイツ軍は最新型の空母を数多く擁し、航空兵力で上回っていた。4時間にも渡る戦闘で、空母カール・ヴィンソン等が撃沈されるなど劣勢に立たされた米艦隊は、当初の目的であるドイツ海兵隊のニューファンドランド上陸の阻止を果たすことができず撤退を開始した。その一方で、米艦隊の撃退に成功したドイツ艦隊は空母ジークフリートが大破したものの、それ以外に大きな損害は無く、上陸部隊にも影響は無かった。

1.16

 1月16日、幾多の困難を乗り越え、ドイツ海兵隊がニューファンドランド島全域の制圧に成功する。遂にドイツ軍は念願の北米攻略に必要な根拠地を手に入れた。すぐさま航空部隊がニューファンドランドに移動し、この地の支配を確固たるものとした。ドイツ軍にのど元まで迫られたアメリカは、機動艦隊をもってニューファンドランド軍港に停泊中のドイツ艦隊に対し継続的に空襲を行うも、ただいたずらに被害を増やすばかりであった。近接支援航空機・戦術爆撃機が殆ど無いアメリカ軍は地上への有効な攻撃手段を持っていなかったため、ドイツ軍の北米大陸上陸は何としても避けなければならなかった。アメリカ軍は大西洋沿岸の防衛を更に強化し、東海岸へのドイツ軍の強襲上陸に備えた。しかし、ドイツは既にこの状況を打破するための打開策を見出していた。

51年2月

2.3

 膠着しかけていた戦況を打破する打開策、それは核ミサイルによる攻撃であった。遂にドイツがミサイル開発の集大成、大陸間弾道ミサイルの実戦配備にこぎつけたのだ。弾道ミサイルに搭載するには核兵器の小型化が必須であるが、理論上その小型化は成功しており、後はミサイルに搭載するだけとなっていた。しかし弾道ミサイルの信頼性は未だに信憑性が残っており、総統も安易にこれを切り札にすることを拒否した。
 
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 1951年2月3日午後14時、フランス・ブレストから大陸間弾道ミサイル10発が米本土に向け発射された。試験的な意味合いが強かったこのミサイル発射であったが、弾道ミサイルは確実に米東海岸まで到達、各都市に大被害を与えた。特にワシントンD.C.はかなりの被害を受け、トルーマン大統領ら政府閣僚がホワイトハウスから退避せざるを得ない状況となる。そして意外にもこの被害を間近に見たアメリカ国民の間には厭戦気分が蔓延しつつあった。米海軍の相次ぐ敗退、ドイツ軍のニューファンドランド島上陸など、着実にアメリカに近づいてくる枢軸国の足音に米国民は少なからず恐怖を感じていたものの、未だに戦意は高かった。しかし今回のミサイル攻撃は、米英戦争以来初めて米本土が攻撃された大事件であり、ドイツの空爆で逆に団結したイギリスは既にブリテン島から追われ、頼るべき味方もいないという状況が米国民のパニックを増大させた。

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 ミサイル攻撃が及ぼす心理的な打撃はドイツとしては嬉しい誤算であった。今回の発射で大陸間弾道ミサイルの信頼性は不動のものとなり、3ラインで連続生産が開始された。完成した大陸間弾道ミサイルが大西洋を越え、米本土に着弾するたびにドイツ国民は沸き立ち、米国民の士気はそがれていった。

2.27

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 米本土上陸作戦がにわかに本格化するなか、フランスより到着したドイツ軍70個師団がニューファンドランド島に到着した。いずれも激戦を戦い抜いてきた歴戦の勇士たちであり、長い大戦に終止符を打たせるため彼らの士気は軒昂、来るべき最終決戦に備えた。その後も攻撃部隊の輸送は続き、5月までに合計149個師団がニューファンドランド島に集結していた。そして同じく集められた航空機は8000機以上にも上った。

 だが、今回の米本土侵攻はドイツ単独で臨むこととなっており、(枢軸各国から義勇兵として数個師団・航空機数百機が派遣されていたが、世論の了解を得られないなどの理由から各国とも軍の派遣を渋った。彼らにはアメリカが簡単に屈服するはずがないと考えていたフシがあったが、総統はこの時期での内輪もめはふさわしくないとして、資源・物資の供出などを行えば遠征軍の派遣要請を取り下げるとの方針を明らかにした)OKWからは兵力の不足が指摘されていた。OKWは、たかだか150万人の軍隊がいかに精強であろうとも広大なアメリカを制圧するのはかなり難しい、と結論付けた報告書を提出していた。総統もこの件については了解しており、攻略地域をカナダ東部・米東部に限定することなどを盛り込んだ作戦案が決定された。作戦名は「フェルトベルグ作戦」と名づけられた。

フェルトベルグ作戦 1951.5.24〜11.12

 1951年5月に入りドイツ軍の動きが活発化しはじめた。無論、これは米本土上陸に向けた前哨戦の始まりを意味していた。ドイツ軍は上陸地点をカナダ領ハリファックスに決定していたため、ハリファックス周辺の海域からの連合国海軍の掃討は至上命題であった。ドイツ空軍はハリファックス周辺空域に重点的に航空機を送り込み、制空権・制海権の奪取に努めた。一方のアメリカ軍も遅まきながらドイツ軍の上陸意図を察知、ハリファックスに増援を送るとともに、制空権を握ろうとするドイツ空軍と各地で空中戦を展開させた。

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 独米による戦闘は互角で推移していた。ドイツが目指していたハリファックス上空の制空権は奪取できなかったものの、周辺海域の制空権・制海権を掌握する。ドイツ軍総司令部はこれ以上の空軍による戦果は望めないと判断、ニューファンドランド島の侵攻部隊を統括する北米方面軍の総司令官として任命されたケッセルリンク元帥に対し、ハリファックス上陸作戦の決行を命令した。
 同じ頃、フランス・ボルドーのドイツ軍秘密基地では急ピッチで作業が開始された。大陸間弾道ミサイルに搭載されたもの、それは全てを焼き尽くす悪魔の兵器・核弾頭であった。作業は5月中旬に全てが完了、総統の発射命令を待つのみとなった。

ハリファックス上陸作戦 1951.5.24〜5.25

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 それは突然の事であった。ハリファックスに突如現れたミサイルは通常弾頭ではなかった。核爆発によりハリファックスの米・カナダ連合軍はほぼ壊滅状態に追い込まれた。そしてそれはドイツ軍にとってもであった。ハリファックスの敵地上部隊に攻撃中のドイツ空軍機800機がこの核爆発に巻き込まれ、ほぼその全てが業火の中に消えた。核ミサイルの発射は国家の最重要機密であり、アメリカによる暗号解読を恐れドイツ軍上層部は現地部隊に何ら情報を与えていなかった。
 北米方面軍総司令官ケッセルリンク元帥はこの情報に愕然とした。しかし、ケッセルリンクは何とか落ち着きを取り戻し、核ミサイル発射の件を徹底的に情報封鎖した上で、敵が壊滅的状況に追い込まれている好機を逃さず、ハリファックスへの上陸作戦の決行を命令した。

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 核ミサイル着弾から4時間が経過した5月24日18時、上陸作戦の第一段階として予定されていた降下猟兵部隊によるハリファックスへの空挺強襲が開始された。当然、敵は核兵器によって無力化されており、散発的な戦闘の後に降下猟兵部隊はハリファックス中心部及び軍事施設の確保に成功した。これに呼応してハリファックス沖で待機中であった、侵攻部隊を載せた輸送船団が、ドイツ側の手に落ちたハリファックス軍港に次々と入港、部隊の揚陸を行った。揚陸作業は翌日まで続いたが、合計72個師団が無事ハリファックスに上陸した。ドイツ軍が北米大陸に足を踏み入れた瞬間であった。

グリーンヴィル攻防戦 1951.6.15〜7.11

(WARNING! 文章の嵐が続きます。免疫の無い人は飛ばしてください)

 ハリファックス陥落にアメリカ・カナダ軍は恐慌状態に陥った。ドイツ軍は破竹の勢いでカナダ・ノバスコシア州を制圧、ケベック方面を窺う構えを見せていたからだ。ドイツ軍がケベックを落とし、カナダの首都オタワが陥落する事態になれば、カナダが今大戦から脱落する可能性も考えられ、アメリカ軍もケベック方面に増援を派遣すると共に、メイン州・グリーンヴィルにも陸軍を集結させ、戦線の硬直化を狙った。ドイツ軍としては戦線の硬直化はどうしても避けたかった。戦闘が長引けば、補給の面での負担もさることながら、アメリカ軍が混乱から立ち直り本格的に反攻する可能性が非常に高かったからだ。

 ケッセルリンク総司令官は早期のアメリカ領への侵攻を提案するも、OKH・OKW共にカナダ方面への侵攻を主張して譲らなかった。ケッセルリンクが前線指揮官という立場から戦場を見、OKH・OKW側は戦略家として大局を見ていたが意見の対立を招いた。OKHはカナダが戦争から脱落することの戦略的価値を重視し、OKWもこの意見に同調していた。確かに英連邦の一角が枢軸国に下る事態になれば、それこそイギリス・アメリカに与える政治的影響は図りきれないものがある。そしてアメリカ国民に蔓延している厭戦気分が反政府運動へと繋がる可能性も十分に考えられた。

 一方のケッセルリンクは進軍の難しいカナダにはある程度の押さえを残し、侵攻部隊の主力がワシントンD.C.を含む東海岸諸都市を一気に制圧し、敵の士気を大いに挫くべきと主張していた。態勢の立て直しが終わっていない今こそがアメリカへの侵攻の唯一の機会であるとケッセルリンクは考えており、カナダには何ら「戦術的」価値を見出していなかった。この前線最高司令官と軍司令部の意見の対立は、総統の仲立ちによって何とか収束した。総統は軍司令部側の意見を尊重しつつも、東海岸を制圧する重要性についても理解を示していた。総統は折衷案として、カナダ方面に重点を置きつつ、東海岸へは精鋭機甲師団を主力とした機動部隊による電撃戦によって是を陥落させるという、いわば玉虫色の作戦案を提示した。軍司令部側とケッセルリンク総司令官も総統の決定に逆らうことはできず、フェルトベルグ作戦は修正が加えられつつも続行されることとなった。
 ケッセルリンクは主力の歩兵部隊をカナダに向け、東海岸方面には機甲部隊を中心とした少数規模の軍を配置した。東海岸戦線では、アメリカ軍に数で互角か数の劣っていたため積極的な攻勢を止め、航空機を活かした敵部隊の殲滅を狙った。メイン州の制空権は独米ともに拮抗状態であったが、ドイツ軍はこの空域にほぼ全ての航空機を投入し主導権を握ることに成功した。それと同時に機甲部隊によるゲリラ的な攻撃がグリーンヴィルにおいて展開された。機動力を難なく活かしたこの作戦はアメリカ軍を翻弄した。前述の通り、アメリカ軍は地上攻撃できる航空機がほとんど無く、制空権もドイツ側にあったため、ドイツ機甲部隊の神出鬼没の攻撃に対し、有効な反撃手段を持ち合わせていなかった。陸軍の緩急をつけた攻撃と、航空機による徹底した爆撃によりアメリカ軍の部隊は次々と壊滅状態に追い込まれた。

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 しかし、アメリカ軍はこのグリーンヴィルに固執した。北米大陸への上陸を許したとはいえ、アメリカ領内には未だにドイツ軍の侵攻を許しておらず、もしグリーンヴィルが落ちた場合は、アメリカ国民に対する影響は戦略的に大きいとアメリカ政府・軍上層部は判断していた。戦線を押し下げ、そこに強固な防衛線を敷けば、数に劣るドイツ軍は窮するということを政府・軍も理解していたが、くしくもアメリカ国内では反政府・反戦運動が表面化、ファシズム勢力も台頭しはじめていた。そんな状態で、もしニューヨークやフィラデルフィラといった大都市を舞台にドイツ軍と戦闘を行った場合、アメリカ国民の混乱は推して知るまでも無いことであった。トルーマンはグリーンヴィルの死守を陸軍に厳命するとともに、国民に危機的状況を克服すべし、とテレビ演説をしたが政府の戦争指導に対する国民の不満は既に後戻りできないところまできていた。

7.11

 度重なる被害によりアメリカ軍の弱体化を見抜いたケッセルリンクは、遂にグリーンヴィルへの本格的な侵攻を前線部隊に命令した。前線の機甲師団は難なくアメリカ軍を撃退することに成功、グリーンヴィルはドイツの手に落ちた。これを合図に東海岸方面のドイツ軍は次々に南下を開始、諸都市を制圧していく。

シャーブルックの戦い 1951.7.4〜9.14

 一方、カナダ攻略を担当するドイツ軍は、カナダの首都オタワの占領を目指すため、航空基地のあるモントリオールの攻略に向け侵攻を開始、その途上にあるシャーブルック(しゃぶる苦?)のアメリカ・カナダ軍に対し攻撃を開始した。インフラ状態が決して良好ではない同地での進軍は牛歩の歩みの如くであった。また、長い兵站線から侵攻部隊の補給の維持もかなりの労力を要した。そんな劣悪な条件下でもドイツ軍は8月8日、シャーブルック中心部の制圧に成功した。しかし、それは連合国軍のシナリオ通りであった。

8.9

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 同月9日、疲弊状態のドイツ軍に対し連合国軍が各方面から反攻を開始した。河川を有効に活用し何とか防衛戦を展開するドイツ軍も、絶大な火力と物量で押す連合国軍の前に、遂に防衛線が崩壊、撤退せざるを得なくなる。これにはケッセルリンクも動揺した。東海岸諸都市の攻略に軍の多くを割いていたため、メイン州方面には殆ど守備兵を配置していなかった。そのため、各軍団から部隊を引き抜き、シャーブルック南のコンコルドに増援を派遣、連合国軍を牽制させた。

8.29

 時間稼ぎによって態勢の立て直しに成功したドイツ軍は、連合国軍に対し反撃に出た。カナダ方面での指揮を執ることとなった陸軍総司令官フォン・フリッチュ元帥は、64個師団という大軍を持ってシャーブルックの再制圧に成功、連合国軍はモントリオールに撤退した。

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 この攻撃の成功でケベック地方での戦闘の主導権は完全にドイツ側のものとなった。9月までにケベックシティーを占領したドイツ軍は10月3日、主要都市モントリオールを支配下におさめることに成功した。首都オタワも11月7日に占領されたことで、事実上カナダは今大戦から排除された。主要部の制圧に成功したカナダ方面軍は、その矛先を五大湖周辺都市に向けた。11月24日、アメリカの自動車産業を支える工業都市デトロイトがカナダ方面軍によって制圧され、12月20日にはシカゴもドイツの支配下に入った。アメリカの敗北は決定的となった。

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ワシントンD.C.陥落

 東海岸のアメリカ軍は総崩れであった。7月22日にメガロポリスのひとつ、ボストンが陥落したのを皮切りに、8月2日にアメリカの象徴・摩天楼を擁するニューヨークもドイツの手に落ちた。だが、占領した都市の統治に軍を割かねばならないため侵攻速度は占領地を広げるに連れて遅くなっていった。ドイツ軍がアメリカの首都・ワシントンD.C.に迫ったときには僅かに6個師団であった。だが、アメリカ軍もそれは同じであった。ワシントンを守備するのはわずかに1個師団であった。

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 11月7日、ワシントンD.C.は陥落した。アメリカ政府はノーフォーク、ウィルミントンへと逃げ続け、ノースカロライナ州アッシュヴィルで最後の抵抗を行うことになる。

〜つづく〜

なんだこの長文は・・・たまげたなぁ


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Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3541d)