アイルランド交響曲 -An Irish Symphony- に戻ります
1953年 "Na Laetha Geal Moige" に戻ります


IRELAND




Nov.3.1993

「ノボリを見に来たのかい」

11月1日、アイルランド到着のその日、マイケル・コリンズ国際空港でタクシーをつかまえるや否や、運転手に聞かれた。
ハイチ東部のプエルト・プラタの生まれだという黒檀のような肌をした丸坊主の運転手は、「昨日と今日だけで日本人のマスコミ関係者を4人も乗せた。みんなノボリを見に来た、と言ってたよ」と続けた。
何と返答したものか悩んでいると、私の困惑をどう取り違えたものか、彼は「サミーと呼んでくれ」と繋げた。名前を何と呼べばよいのか、と悩んでいると思われたのだろうか。

「違うよ、フットボールを見に来たのは確かだけど、別に彼だけを見に来たわけじゃない」
「本当かい?」

ヒスパニック特有の訛りのある英語で、サミーは執拗に聞いてきた。

「ああ、非常に興味深い試合だからね。ノボリも興味の対象ではあるけど、それだけじゃない」
「何だ、やっぱりノボリを見に来たんじゃないか」

サミーは何を聞いていたんだろうか?
それとも、私が何か言い間違えたんだろうか──と思い、更に口を開こうとしたが、サミーに機先を制されてしまった。

「日本人はみんな言ってたよ、ノボリだけ見に来たんじゃないって。
 でも、じゃあ他に何を見に来たのか、って聞くと、何も言えないだぜ。対戦クラブ名さえ言えないんだ!
 あんたもそうなんだろ?」

今すぐ車を停めろ、お前なんかに払う金は無い──と怒鳴りつけるべきだったのだろうか。
だが、サミーの陽気な顔を見るうち、自分のほうが間違っているような気になってしまう。

1952年に力道山がハワイで興行を行って40年。1970年に杉山隆一が北米サッカーリーグに移籍し、日本人スポーツ選手の海外移籍に先鞭をつけてから、既に20年以上の時間が流れている。
にもかかわらず、たかが大学生が一人、ヨーロッパのトップリーグに移籍したと言うだけで、この事の本質を無視したマスコミの浮かれぶりは一体何なのだろう。
──同業者の醜態に暗澹たる気分になる一方、僕がサミーに返した言葉は憎まれ口だった。

「そうだよ、実は僕もフットボールのことは何も知らない素人なんだ。
 何しろ、ジョージ・ベストにインタビューしたことも二回しかない」

ホテルにつくまでの間、サミーは僕のことを、"Sir"と呼んだ。




BOHEMIAN

ノボリ──澤登正朗が内定していた清水エスパルスとの入団契約を破棄し、海外クラブへの入団を選んでから、早1年。

Jリーグ開幕──すなわち、今年4月……に先立つこと半年、1992年(平成4年)9月、ナビスコカップ開幕戦。
清水エスパルスの配布したマッチデー・プログラムには、一部だけ白い修正テープが貼られていた──選手名艦の、澤登正朗の部分にだけ。
当時東海大学の4年生だった澤登が、内定していた清水への入団を白紙に戻したのが、プログラムの印刷後だったためだ。

アマチュアの大学生が、翌年のJ開幕を前に海外へ移籍、しかもJクラブへの入団内定を反故にして……という行為がフットボール界のみならず、守旧的な一部言論人の逆鱗に触れ、あたかも澤登が売国奴であるかのような声がマスコミの多勢を占めていた時期もあった。
国内で受けたドラフト指名を蹴ってサンフレッチェ広島に入団し、国内で猛烈な批判を浴びた盧廷潤(ノ・ジョンユン/韓国代表)と同様の事態が、当の日本でも起こった──として、その共時性が取り沙汰されたこともあった。
ジーコ(ブラジル)、ディアス(アルゼンチン)、リネカー(イングランド)、賈秀全(中華民国)ら、日本に海外のベテラン選手が大勢集まる一方で、日本から若手が出て行ってしまうことへの是非が語られたこともあった。

だが、澤登が海外移籍を選んだ時、最も大きかった声はこれだった。
「ところで、アイルランドってどこにあるんだ?」




THIN LIZZY

アイルランドという国は、日本人にとってはいろいろな感情を持たれている国だ。
10代、20代の若い世代なら、ボブ・ゲルドフ、シン・リジィ、U2らのアイリッシュ・ミュージックだろう。
30代以上の社会の中堅層なら、やはり世界シェア1位の座に君臨し続ける造船業界が来るだろう。

そして年配の人であれば、太平洋戦争で日本が降伏するきっかけになった沖縄・奄美戦ではないだろうか。
そういえば、私の小学校の校長先生が戦時中は南方行きの物資輸送船の乗組員をしており、アイルランド海軍機に船を沈められ、丸2日漂流して九死に一生を得た、という話を度々していたのを思い出す。

『男の世界と言われた海軍にありながら、アイルランド海軍は構成人員の9割が女性であり、まさに異質と言っていい。
 “女性海軍”の異名を持つアイルランド海軍は、空母12隻からなる圧倒的な航空戦力で太平洋戦争の勝利に貢献。
 第三次世界大戦においても、世界第三位の実力を誇ったアイルランド海軍は欧州の海を我が物顔で暴れ狂い、共産主義陣営国家の軍艦をサーフィンボードに至るまで海の底に沈めた』

アイルランド海軍はこのようなフレーズとともに語られている。
その主軸となった空母の一隻が、数年前からダブリン近郊の臨海公園に記念艦として保存されている。
私のアイルランド・フットボールの旅は、ここから始めることにした。




MATCH OF THE DAY

日本は世界中の船の34%を作っている、その上を行くのは41%のアイルランドだけ──というのは、どんな小学校の社会科の教科書にも載っている。
かつての造船大国だった英米は価格競争で日愛(最近は韓国も)に完敗し、社会主義化したイタリアやデンマークは国際競争力を完全に喪失した結果だそうだ。

そのアイルランドの造船技術力の原点とも言うべき巨艦が、目の前にあった。

「1993年現在、かつての第二次、第三次世界大戦を戦い抜いた12隻の戦姫のなかで、国内に残っているのはこの“モリガン”のみです」

私よりも背の高い記念艦案内員の女性(彼女も元海軍軍人だそうだ)は、流暢な日本語でそう説明した。

「1957年に新造航空母艦が投入されてから、まず“リル”“ゴブニュ”の2隻が友邦国のノルウェーに無償譲渡されました。
 その後、残る9隻も、中華民国、フランス、オーストラリアなどの自由主義陣営国家に譲渡されるか、解体されるかされ、残った“モリガン”も1984年に退役し、1990年に記念艦となったのです」

1993年現在、アイルランド海軍の空母は8隻、戦艦は1隻もないという。

「でも、その頃にはもう第三次大戦は終わってましたよね?」
「我が軍がフィンランド全土を解放し、英米がフランスを奪回、さらに中国軍がトビリシを占領したのをきっかけに、休戦条約が結ばれましたから。
 しかし、あくまで休戦でした」

空母を無料でばらまくというのは勿体無いような気もするが、ソ連に圧力をかけ続けるためにはやむをえない措置だった、ということらしい。
そして、それをできるだけの地力──つまり、造船力──もあった。
そこでふと、この空母と、世界一の造船能力の話をふってみた。

「日本は造船で世界第2位、ということを日本の小学生はみな知っています。
 世界の3割の船を作るだけの造船能力というのは、戦前から大型船舶をたくさん造っていた、その経験にも裏打ちされていると思うんですよ」
「そうでしょうね、ダブリン港にも日本の大型タンカーがよく入ってきますから」
「同じように、アイルランドもこの空母のような大型船舶をたくさん造ったことが──」
「エールです」

氷を背中に入れられたのかと錯覚するような、ひどく冷たい声で、私の言葉はぴしゃりと遮られた。

「私達はアイルランドと呼ばれることを好みません。私達の正しい国名は、エールです」

迂闊だった。
ヴァレリストと呼ばれる、フランスのゴーリストに匹敵する純粋愛国主義者が大勢いることは知識として知っていたが、目の前にいる彼女がまさにそれだった。
絶句する私に向かって、「公園の顔」である「案内員」の彼女は、聞いていないことを語りだした。

「言い忘れていましたが、この“モリガン”は対日戦でも大活躍しました。
 戦艦比叡、空母翔鶴などを撃沈し、対日戦勝利に貢献したのです」

国名を言い間違えたことに対する、彼女なりの返礼なのだろう。
その目は全く笑っていなかった。




GATE

ダブリン市内、フィブスボロ地区。
セント・ピータース通りに面した一角に、その老朽化したスタジアムはたたずんでいる。

1992-93シーズンより、UEFAチャンピオンズ・カップが改編され、UEFAチャンピオンズ・リーグとして生まれ変わった。
その2期目のシーズンにおいて、最大の伏兵が本拠地とするスタジアムが、ここ──ダリーモント・パークだ。
建設されたのは1890年。無論、幾度も補修工事は行われてはいるが、1世紀以上の歴史を誇るスタジアムとあり、老朽化は否めない。
最大収容人員数もわずか14,620人。これはJFLの柏レイソルが本拠地とする日立柏台サッカー場や、JFL2部のNTT関東FCの大宮公園サッカー場よりも小さい。
こういっては失礼だが、そんな「ちっぽけなスタジアム」を本拠地とする「ちっぽけなクラブ」が、チャンピオンズ・リーグのセカンド・ラウンドにまで勝ち上がってしまったのだ。

そのちっぽけなクラブの名前は、ボヘミアンFC、もしくはボヘミアンズFC。
92年の秋以降、急激に日本でも知られるようになった、アイルランド最古のフットボール・クラブだ。

もっとも、アイルランドの基準で物を考えるなら、ボヘミアンズは立派なビッグクラブだ。
そもそも、この国には10,000人以上収容可能なスタジアム自体が数えるほどしかない。この国では、フットボールがゲーリック(ラグビーとフットボールを合わせた様な、アイルランドの国技)、ラグビーに次ぐ、第3人気にとどまっていることも理由の一つにあげられるだろう。
そもそもアイルランドでフットボールといえば、それはゲーリックのことを指す。11人対11人の足でボールを蹴るスポーツは、日本と同じ「サッカー」と呼ばれている。

とはいえ、アイルランドでは「サッカー」の人気が無いというわけでは決してない。1974年のワールドカップ得点王であり、1968年の欧州年間最優秀選手にも輝いた、ジョージ・ベストを例として挙げればわかるだろう。
1974年W杯のアイルランド対ザイール戦で、ジョージ・ベストが1試合5ゴールという前人未到のゴールラッシュを成し遂げた時には、ダブリンはおろかアイルランド中が「おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎ」だったという。
私見だが、おそらくこの1試合5ゴールと言う記録は今後も上回る者も、並ぶものも出るまい。

更にこの試合の結果、ペレの引退もあって一向にエンジンのかからず仕舞だったブラジルを得失点差でグループリーグで葬り去る。更に第2ラウンドでもドイツ民主共和国、アルゼンチンをことごとく倒したものの、オランダに敗れてグループ2位。3位決定戦でもポーランドに敗れ、4位という結果に終わっている。
だが、このW杯4位に輝いた選手達を出迎えるための人の波で、ダブリン空港──今のマイケル・コリンズ国際空港──周辺の交通は完全に麻痺し、凱旋パレードでは「国民全てがダブリンに集まった」と評されている。

にも関わらず、そのダブリン随一のビッグクラブのスタジアムがかくも小さく、かくも老朽化しているのは何故か。
答えは意外と簡単だ。必要ないから、だ。
アイルランドの総人口、890万人。ダブリンの総人口、75万人。日本や東京のそれと比べると、10分の1にも満たない。
小さかろうがなんだろうが、問題なく間に合っていたのだ──これまでは。
昨季92-93シーズン、南のコーク・シティFCとの接戦の末、やっとのことで優勝をもぎ取ったようなクラブが、よもやチャンピオンズリーグのグループステージにまで残る──つまり、ベスト8にまで残ってしまうなど、クラブ関係者自身ですら思いもよらなかったことだろう。
とはいえ早晩、この愛すべき小スタジアムも、改築を余儀なくされるかもしれない。




─頼んだビールにハエが入っていたのを見て
 イングランド人はウェイターを呼び、新しいものに取り替えさせ、チップを渡した 
 スコットランド人はウェイターを呼び、新しいものに取り替えさせ、代金を払わなかった
 ウェールズ人はハエを入れたまま飲み、量が増えて得をしたと喜んだ
 アイルランド人はとりあえず店員を皆殺しにした
DALYMOUNT PARK

ふと、「世界のエスニック・ジョーク」集か何かで読んだフレーズが脳裏をよぎる。
イングランドは紳士、スコットランドは吝嗇、ウェールズは粗野、そしてアイルランドは残虐……
こんな風評が生まれたのは1950年代以降(それまでは「アイルランドは白痴」だった)だそうだが、何故そんな風評が生まれたのか?
それを知る一端と出会えたのは、ダリーモント・パークのプレスルームだった。

どう見ても集まった記者の半分以下しか椅子も机も用意されていないプレスルームの片隅で、壁にノートを押し当ててペンを走らせていた、長身痩躯の記者と挨拶を交わした。
彼はフィンランド人だった。
そういえばフィンランドも、日本と同じで「昔はアイルランドと交戦国、今は同盟国」だな──と思い、午前中に海軍記念公園で聞いた話をそのまま振ってみた。
アイルランドがフィンランドを解放したことが、第三次大戦終結の一因になったんだってね──

「解放?」

リベレイション? と聞き返した彼の表情は、少なくとも好意的なものではなかった。

「解放って言ったのか?」
「海軍記念公園で、そう聞いてきたよ」
「スオミの人間で、アイルランドに解放されたなんて思ってる馬鹿は、一人もいやしないよ」

国どうしでの公式見解が食い違う、と言うことは往々にしてよくある。
例えば、日本から韓国が独立したのは、日本が日中戦争に敗れたのが原因だが、韓国ではこれを「独立闘争を勝ち抜いた」と国内史の授業で教えており、中華民国から抗議を受けている。
日本は「我関せず」を決め込んでいるが、時折火の粉が飛んでくるのは周知の通りだろう。
そのことを例に挙げ、そういうことなのか、と聞いてみた。

「そういうことじゃない。そもそも、アイルランド人がヘルシンキで何をしたか知っているのか?
 まずソ連がヘルシンキを侵し、居座った。それをアメリカが爆撃して追い散らした。ヘルシンキは灰になり、ソ連は出て行った。
 さぁこれからどうしよう、とりあえずもう一度やり直そう、と力を合わせて家を建て、町を作り直し始めた。
 そんな脅威の去った、ぼろぼろのヘルシンキをもう一度灰にしたのがアイルランドだ。
 ソ連兵のとっくに去った町を、もう一度爆撃して、砲撃したんだ、あいつらは」

これが欧州では一般的な歴史認識で、我々日本人が知らないだけ、なのかどうかはよくわからない。
困惑する私に、彼は続けた。

「アイルランド軍がこれまで何をしてきたか、知らないわけじゃないだろう。
 ベトナム戦争で、アイルランド軍は何をした? ソンミ村事件を知らないか? 湾岸戦争のイラク兵捕虜虐殺事件はどうだ?
 30年位前には、スペインへの先制攻撃計画もあったことが暴露されてるじゃないか。フランコ暗殺計画、知ってるだろう!
 スオミじゃな、わがままをいう子供に向かって、母親は必ずこう言うんだ。
 『言うことを聞かないと、アイルランド人に連れてってもらいますからね』」

自分の言っていることが過激で、そしてサッカースタジアムで語るべきことで無いことを自覚しているのか、彼の声量はかなり控えめだった。
その大きくもない、そしてその割には聞き取りやすい声で、彼はこう結んだ。

「俺はここに、ボヘミアンズが惨敗する記事を書きに来ているんだ。国民もそれを望んでいる」




GEORGE BEST

「一生言ってろよ、って感じよ」

ダリーモント・パークのホーム側立見席──『ヘイゼルの悲劇』以降、欧州ではほとんど消滅したが、まだここには残っていた──に足を運んだ時、アイルランド海軍のブルゾンを着た女性2人に声をかけられた。
よく見ると、彼女らの右頬と左頬にそれぞれ1文字づつ、漢字がフェイスペイントされていた。
あなた日本人でしょ、ノボリの名前はこれであってるの──『澤』が蜘蛛の巣っぽく見えたが、おおむね問題はなかった。
これも何かの縁かと思い、私は身分を明かし、先ほどのフィンランド人記者の話をぶつけてみた。その回答が、前述のコメントだ。

聞けば、彼女達は姉妹だと言う。
「何でフィンランド人から恨まれなきゃいけないわけ?最初に恨むべきはスターリンでしょ」
「だいたい、フィンランドを最初に焼き払ったのはソ連で、それからアメリカでしょ。エールがやったのは『残敵掃討』だけじゃない」

彼女達はなおも続けた。
「うちのお祖母ちゃん達が出張ってってやらなきゃ、あいつら一生アカの奴隷でしょ?
 ソ連に結局勝てなくて、ドイツの尻馬に乗っても駄目で、しまいにはアメリカに焼き払われて、エールに八つ当たりしてるだけじゃない」
「あたしたちのお祖母ちゃん、“モリガン”の雷撃機パイロットだったのよ。フィンランドの戦艦にも魚雷当てたの。
 そのフィンランド野郎はあたし達のお祖母ちゃんを侮辱してるってことよ。どこにいるの、ぶん殴ってやる」

そう言うと、彼女達は屈託なくケラケラと笑った。本気なのかどうなのか、今ひとつわからない。
君達も海軍機のパイロットなのか、と問うと、姉は救難ヘリのパイロットだが、妹はまだ海軍大学の学生だという。

「そのフィンランド野郎に伝えてよ。
 もう一回アカに侵略されたときには、あたし達が助けに行ってやるってさ」

そしてまた、ケラケラと笑う姉妹を見て、彼女達の内包する人懐っこさと刺々しさの矛盾に頭を悩ませられてしまった。




CANTONA

矛盾と言えば、ボヘミアンズも「人懐っこさと刺々しさ」という矛盾と無縁ではない。

アイルランド・サッカーリーグのトップリーグ、FAIナショナルリーグの外国人枠は、かなり緩い。
外国人枠は4枠、うち同時出場は3人、ベンチ入り自体は4人まで可能。
さらにイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人であれば、0.75枠として計算されるため、
アイルランド人以外の外国人を、最大で6人まで雇うことが可能だ(もっとも、ベンチ入りは4人までだが)。

このようなリーグの事情から、大半のクラブで雇用している外国人は、前述の英国籍選手がほとんどとなっている。
ノルウェー、アルゼンチン、スイス、オーストラリア等もいるが、やはり絶対数は少ない。
そんな中で、ボヘミアンズの雇用している外国人選手の国籍を見ると、やはり驚きを禁じえない。

中盤の底に、イタリア社会共和国代表のジョヴァンニ・ストロッパ、25歳。ラツィオからのレンタル。
左サイドに、ユーゴスラヴィア代表のロベルト・ヤルニ、同じく25歳。90年のW杯にも出場した。
ベンチメンバーに、日本のノボリ──澤登正朗。清水エスパルスとの争奪戦の末に獲得した、日本代表候補。
そして同じく、1月に加入したのが右ウィングのアンドレイ・カンチェルスキス──24歳、現役ソ連代表。

そう、ボヘミアンズに所属する外国人選手は、一人残らずアイルランドの敵国人ばかりだ。

イタリア社会共和国やユーゴスラヴィア共和国は、第三次大戦で交戦国となっていたとはいえ、経済的な結びつきの強さからあまり違和感をもたれることはなかった。
だが、主敵であったソ連の、しかも現役代表選手を獲得したというニュースは、かなりの驚きを持って迎えられた。
そしてもうひとつの驚きは、カンチェルスキスもまた、激しい争奪戦の末に勝利して獲得した、ということだ。

その争奪戦の相手こそ、この日の対戦相手──マンチェスター・ユナイテッド。




JFK

ところで、何故アイルランドがソ連と戦うことになったのか。
それは太平洋戦争終了後の日本との軍事同盟に基づき、ソ連に宣戦布告を受けた日本の側に立って、アイルランドも参戦することになったからだ──というのは、教科書にも書いてある。
更に遡り、そもそもアイルランドが何故日本と戦ったかと言えば、アイルランドが英国と軍事同盟を結んだからだ。これも教科書に書いてある。

だが、何故アイルランドが英国と同盟したのか、は書かれていない。

20世紀初頭まで、アイルランドは英国の植民地であり、非独立国だった。
その後、独立運動や内戦などを経て、1930年代にイーモン・デ・ヴァレラという人物がアイルランドの首相に就任した。
この首相の主導により、英国との同盟することと引き換えに、独立後もしばらく分裂状態にあった北アイルランドをアイルランドに合流させたのだという。

このデ・ヴァレラ首相、後には大統領となるが、なんと91歳まで国家首班の座にあった。1975年に92歳で亡くなっているが、つまり亡くなる前年まで一国の長だったわけだ。デ・ヴァレラに対する後年の評価はほぼ二分されていて、肯定的評価としては「アイルランドの経済的成長、工業化を推進し、さらに北部アイルランドの合流も成し遂げ、加えてハイチにも繁栄をもたらした、先進国入りに大きく貢献したアイルランド屈指の偉人」。かたや否定的評価としては、「自分の信念であった反英闘争に国中を道連れにして内戦を起こした挙句、舌の根も乾かぬうちに英国と同盟し、総括もしないで国を世界大戦に巻き込み、さらにハイチ侵略まで起こした変節漢であり独裁者」。

ここでは、アイルランドのサッカーシーンの背景としてのデ・ヴァレラ、に触れるにとどめたい。だから、その業績についてどうこう言うのは控えたいと思う。
だが、デ・ヴァレラの墓に、日々献花が絶えないことだけは併記しておく。
それともうひとつ、もしデ・ヴァレラが北部アイルランドの合流に失敗していたら、ジョージ・ベストがアイルランド代表入りすることもなかったかもしれない。何故なら彼は北部アイルランドのベルファスト出身だからだ。
おそらくイングランド代表か、もしくはウェールズやスコットランドのように独立した北部アイルランド代表としてプレーしていたことだろう。そうなれば、74年の5ゴールも無く……
とりあえず、デ・ヴァレラはアイルランドサッカーには多大な貢献をした、ということでいいだろう。




ALEX

試合の内容については、再確認以上に語ることは特にない。更なる大番狂わせが起こったことは、既に大方のマスコミが報じている通りだ。

ホームでありながら、かなりの時間帯で押され続けるボヘミアンズだったが、スコアそのものは0-0のまま、均衡は破られずにいた。
だが、この状態はマンチェスター・ユナイテッドにとっては死刑台への13階段に等しかった。ファースト・レグ、オールド・トラッフォードでのホームゲームを3-3で引き分けるという失態を晒しているため、この試合を引き分けてしまえばアウェーゴール2倍ルールにより、グループステージに上がることなく、CLからの退場を余儀なくされてしまう。
だが、イタリア社会共和国代表のストロッパを中心とした、中盤からの厳しいプレスとフォアチェックで攻め手を悉く潰され、逆にヤルニ、カンチェルスキスのサイドアタックは再三にわたってユナイテッドのゴールマウスを脅かす始末。“ファギー”アレックス・ファーガソン監督も焦れ、ノッティンガム・フォレストから獲得したばかりのロイ・キーン──皮肉にも、彼はアイルランド代表だ──、ライアン・ギグスらの俊英をピッチに送り込んで攻撃陣を厚くするが、やはり打開には至らない。徹底してパスを潰す、“守って耐える”サッカーを展開するボヘミアンズに対し、パスワーカーのキーンを投入したのは、パスの出所を増やすことによってプレスの負荷を分散させる狙いがあった、と見られているが、『僕らがユナイテッドに勝っているのは、運動量だけ』とのヤルニの言葉どおり、ユナイテッドのパスの芽は摘まれ続けるばかりだった。フィニッシャーのエリック・カントナ、“スパーキー”マーク・ヒューズの2TOPのシュート数、二人合わせて1本──この数字が示すとおり、彼らにボールが届くことはついぞ無かった。

その均衡が破られたのは後半38分。ヤルニのあげたコーナーキックを、マンチェスター・ユナイテッドのデンマーク人民共和国代表GK、ピーター・シュマイケルが危なげなくパンチングでクリアした──と思った瞬間、ペナルティエリア外にいたカンチェルスキスが、ルーズボールにダイレクトミドルをあわせた。
ボールコース自体はシュマイケルの正面に近いものだったが、皮肉にもそのシュートを止めようとしたDFのクレイトン・ブラックモアが出した足に当たる。そして、そのボールは飛び出しかけたシュマイケルの頭上を越えるチップショットとなり、ゴールネットにやさしくキスをした。
その瞬間、スタジアム中を支配した絶叫と怒号、そして歓喜の悲鳴は、今にもこの老朽化したスタジアムが共鳴振動で崩れてしまうのではないか、と思わせるほどのものであり──くだんのフィンランド人記者の苦渋に満ちた表情は、一瞬同情しそうになりかけたほどのものだった。

後半44分から澤登が出場した件についても、特に書くことがない。150秒ほどピッチに立ち、ファーストパスをいきなりデニス・アーウィンに奪われ、それ以降時間稼ぎのボール回しに混ぜてもらえなかったことを「存在感を発揮して勝利に貢献」などと表現するのは、一部の軽佻浮薄なメディアに任せたい。

そしてそのまま、1-0で試合終了。
2試合合計で4-3となり、ボヘミアンズがチャンピオンズ・リーグのグループ・ステージ進出を決める。チャンピオンズ・リーグ自体がまだ2期目ということもあるが、アイルランドのクラブのグループ・ステージ進出はこれがはじめてとなる。
74年のザイール戦後ほどではないにせよ、ダブリン市街は夜明けまでお祭り騒ぎの様相を呈し、方やマンチェスター・ユナイテッド陣営はジョージ・ベストが在籍していた頃を懐かしむ涙酒に暮れていた。




CCCP

試合後、選手を代表してインタビューに答えたロベルト・ヤルニは語った。アイルランドに来て本当によかった、と。
ヤルニはユーゴスラヴィア連邦リーグのハイドゥク・スプリトからイタリアを経て、92年の冬のマーケットでボヘミアンズに移籍し、在籍してそろそろ2年になる。
その間、国内リーグ戦やカップ戦では優勝はしてこそいるが、国際的なカップ戦では早期敗退を続けている。それを踏まえた発言か──と思っていると、彼はこう続けた。

「僕らユーゴスラヴィア人は、アイルランドには恩義がある。それを少しでも返せたんじゃないかな、と思うよ」

1989年のルーマニア動乱、1991年のソ連「雪解け」宣言などの影響を受け、1990年から92年にかけ、ユーゴスラヴィア連邦を形成する6つの自治共和国──セルビア、ボスニア、スロヴェニア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア──の間で、ユーゴスラヴィア連邦からの独立を求める動きが急浮上し、一時内戦じみた様相を呈した時期があった。
元々無理があると言われ続けた「多民族による連邦制」は、チトーというカリスマ亡き後は急速に瓦解への道を転がり落ちた──かに思われたが、この惨禍を押しとどめたのもアイルランドだった。
世界有数の工業貿易立国でもあるアイルランドにとって、ユーゴスラヴィア、そしてイタリアの両社会主義国はきわめて重要なビジネスパートナーであり、ユーゴの混乱はアイルランド経済に大打撃を与える。これを懸念したアイルランド政府の動きは極めて迅速で、国連を通じてアイルランド軍主体のユーゴ平和維持軍を組織、内戦の鎮圧と安定化につとめた。
その後、ユーゴスラヴィア連邦は「ゆるやかな連邦」を目指すことを宣言し、独立の是非は西暦2000年を目処に再度国民投票で決める……という「ベルファスト宣言」が各自治共和国間で合意に至った。
アメリカや日本など、諸外国ではこうは上手くいかなかっただろう。イタリアやベルギーなど、社会主義諸国と極めて仲のよかったアイルランドが主軸だったからこそ、ヨーロッパ社会主義諸国の反発を防ぎ、むしろPKOの派遣に協力してもらえ、更にユーゴの自治共和国間の折衝も適えられた──当時の報道では、そんな事が言われていたと覚えている。

「あの時のアイルランドPKOが無ければ、ユーゴスラヴィアという国は内戦の果てに消滅していたと思う。
 その結果、僕の故郷のクロアチア自治共和国が独立していたにせよ、いないにせよ、僕らの家族や友人が傷ついていたかもしれない。
 内戦のせいで、1992年の欧州選手権の予選参加を辞退せざるを得なかった、というのはもちろん残念に思っている。
 でも流血が最低限で済んで、クロアチアもセルビアも友情を取り戻したおかげで、こうして僕はサッカーに専念していられる。それを心から嬉しく思うよ」

そのアイルランドでサッカーをし、マンチェスター・ユナイテッドのようなクラブ相手にジャイアント・キリングを成し遂げることまでできた。今日の勝利の喜びを、ユーゴの友人達にも届けたい──ヤルニはそう締めくくった。

「言わされてるんだよ。ユーゴは社会主義国だから、言論の自由が無いんだ」

会見が終わり、席を立とうとした私に話しかけて来た人がいた。フィンランド人記者の彼だった。

「アイルランドはユーゴにいいことをしてやった気でいるかもしれないが、当のクロアチア人やセルヴィア人は、独立を阻止されたことを本当に喜んでると思うか?
 クロアチアが独立したら、イタリアが旧領のダルマチアの奪還を目指して、クロアチアとイタリアの間で戦争になるかもしれない。
 そうなったら、輸出依存のアイルランド経済への悪影響は深刻を極めるだろうよ。それを防ぐためのPKOなんだよ。
 アイルランドの国益に関係なければ、ユーゴ崩壊なんてほっといたろうよ。本当に汚い連中さ」

君がそういうことを大声で言えるのは、アイルランド軍が「解放」してフィンランドが民主主義国へ回帰したおかげだろ?

そう言い返してやればよかったかもしれない。だが、これ以上彼の顔を見ていたく無かった私は、無言でダリーモント・パークを後にするにとどめた。




EAMON DE VALERA

タクシーターミナルで列に並んでいる間、ユーゴ人のヤルニの言葉と、フィンランド人記者の言葉を反芻していた。
もちろん、あの二人の意見が、両国の世論を代表する絶対的多数意見だ、などと言うつもりはない。
だが、直接的に干戈を交えたはずのユーゴスラヴィアから愛されるアイルランドと、圧制者から解放したはずのフィンランドから恨まれるアイルランドという構図の好対照は、興味を引かずにはいられなかった。

偶然というのは面白い。私の前に止まったタクシーの運転手は、私の顔を見るなり「サー」と呼んできた。
──アイルランドへの理解にヒントを与えてくれたのは、またしてもサミーだった。

「ハイチ人にもね、アイルランドを恨んでいる奴もいるし、感謝している奴もいるよ」

渋滞するダブリン市街で、サミーは語ってくれた。

「フランス人が支配した島の西側がハイチになり、スペイン人が支配した島の東側がドミニカになった。
 で、ハイチはドミニカを、ドミニカはハイチを併合したがってたんだけど、そこに来たのがアイルランド。
 両方とも食っちまって、元々一つの島じゃないか、喧嘩なんてするなよ、っつってハイチ1国にしちまったんだよ。
 それを感謝してる奴はいっぱいいる。余計なお世話だ、って腹を立ててる奴もいっぱいいる」

君はどっちなんだ、という問いには答えてくれなかった。ディフィカルト(難しい)、と一言つぶやいたきりだった。
だが、何でこの国は敵に好かれたり、味方に嫌われたりするんだろう、という問いには、明確な一言を返してくれた。

「アイルランドが味方を嫌ったり、敵を好いたりしてるからだよ」

思いもよらなかった言葉で断じる彼に、私は面食らうしかなかった。

「この国は、ずっとイギリスの植民地だった。でも、生きるためにはそのイギリスと仲良くならざるを得なかった。
 その後、アメリカとも仲良くなった。でも、そのアメリカに手ひどい裏切りをされた。
 で、イギリスといっしょに日本と戦って、今はアイルランドと日本は仲良しだ。イタリアもそうだし、ユーゴも。
 誰と仲良くなって、誰とケンカしたらいいんだか、わからなくなってるんだよ」

なんだそりゃ、と問い返したが、彼はかまわずに続けた。

「嫌いな相手とも手をつなぐ日が来るかもしれないから、嫌いになりきれない。
 好きな相手にも裏切られる日が来るかもしれないから、好きになりきれない。
 誰も好きになれない、誰も嫌いになれない国は、誰にも好かれないし、誰からも嫌われないんだよ」

まもなく、車はホテルの前に止まった。私は財布を取り出しつつ、彼に最後に一つだけ聞いた。
君自身は、この国のことが好きなのかい、それとも嫌いなのかい。

サミーは少し哀しそうな顔になり、口を開いた。
この国は移民の国だから、ハイチ人の俺にも職を与え、暖かく迎えて、給料も差別無く白人と同額をくれた。
でも、俺はゲール人じゃ無いから、見えない壁が俺を阻むんだ。そういう差別はあるんだよ、やっぱりね。
だから、嫌いになれるわけはないけど、好きになれそうもない。

チップを渡す私に、サミーはもう一度、ディフィカルト、と言った。




IRELAND AIR FORCE

ヤマアラシのジレンマ、という言葉がある。
愛する伴侶を求め、ヤマアラシは仲間のそばに近寄っていく。
だが近づきすぎると自分の針で仲間を傷つけ、仲間の針で自分も傷つく。
そしてそのうち、相手も自分も傷つかない適当な距離を見つけ出す──といった寓話だ。

観光客の不用意な発言を許さない、記念公園の案内嬢。
旧敵国の代表選手ばかりをあつめ、それでありながら随一の人気を誇るサッカークラブ。
移民を暖かく、そして冷たく迎える国の空気。

これまでずっと誰かに傷つけられてきた、だから誰かに傷つけられるかもしれない。
誰かを愛したくても、傷つけられるかもしれないから愛しきれない。
でもそうやって傷つけられても、愛し合えるかもしれないから嫌いになりきれない。
アイルランドは、そのジレンマの只中にいるのかもしれない。

マイケル・コリンズ国際空港に向かう帰途の道すがら、私の頭上を爆音が通り過ぎていった。
旅客機の音じゃないな、と思って視線を向けると、それはアイルランド空軍のジェット戦闘機だった。
そういえば、アイルランドは世界第5位の兵器輸出大国で、NATO最大の海軍国でもあったっけ──そんな事を考えて足を止めた私に、あなた観光客の人でしょ、うるさくて嫌になるわよね、ごめんなさいね、と道端の新聞スタンドのおばさんがにこやかに語りかけた。

よいプレーさえすれば、澤登はアイルランドから受け入れられるだろう。
アイルランドの人々は人懐っこく、おせっかいなまでに世話を焼きたがり、異邦人を受け入れる人々だ。
だが、彼らは心に常に鎧を着込んでいるのではないだろうか──?

だから、澤登がアイルランドを受け入れられるかどうか、それは私にはわからない。
そんなことを思いつつ、この愛すべきヤマアラシの国を後にした。




アイルランドでのプレーを終えての雑感に進みます


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-02-12 (火) 00:00:00 (3395d)